その後堀河の大納言・三条の源大納言・鷲尾の中納言・坊城の宰相以下、月卿雲客二十余人、路次に参着して供奉し奉りけり。これを聞こし召し及んで、院・法皇・東宮・皇后・梶井の二品親王まで皆六波羅へと御幸成る間、供奉の卿相雲客軍勢の中に交はりて警蹕の声頻りなりければ、これさへ六波羅の仰天一方ならず。俄かに六波羅の北の方を開けて、仙院・皇居となす。事の体騒がしかりし有様なり。
その後堀川大納言(源具親)・三条源大納言(中院通顕)・鷲尾中納言・坊城宰相(勧修寺経顕)以下、月卿雲客([公卿と殿上人])二十余人が、路次で参着して供奉しました。これを聞き及んで、院(第九十三代後伏見院)・法皇(第九十五代花園天皇)・東宮(後伏見天皇の第二皇子、豊仁親王。後の北朝第二代光明天皇)・皇后(後伏見天皇の第一皇女、珣子内親王?後に第九十六代後醍醐天皇の中宮)・梶井二品親王(後伏見院の第六皇子、承胤法親王)まで皆六波羅に御幸されたので、供奉の卿相雲客軍勢の中に交わり警蹕([天皇や貴人の通行などの時に、声を立てて人々を畏まらせ、先払いをすること])の声がしきりに聞こえて、六波羅の仰天([予想していなかったことが起きて、非常に驚こと])は一方ではありませんでした。急ぎ六波羅の北方を開けて、仙院・皇居としました。なんとも騒がしい様でした。
(続く)