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「太平記」宰相中将殿賜将軍宣旨事(その2)

さるほどに延分三年十二月十八日、宰相さいしやう中将ちゆうじやう義詮よしあきら朝臣あつそん、二十九歳にて征夷将軍になり給ふ。日野の左中弁時光ときみつを勅使にて宣旨を下されければ、佐々木の太郎判官秀詮ひであきを以つて宣旨を受け取り奉る。天下の武功に於いては申すに及ばずといへども、相続さうぞくして二代たちまちに将軍の位に備はり給ふ、めでたかりし世のためしなり。そもそもこの頃将軍家に於いて、我にましたる忠の者あらじとただむきを振るふともがら多き中に、秀詮ひであきら宣旨を受け取り奉る面目身に余る。その故を聞けば、祖父佐渡の判官入道はうぐわんにふだう道誉だうよ、さる元弘の始め、相摸入道にふだうが振る舞ひ悪逆無道ぶだうにして武運すでにかたぶくべき時至りぬとや見たりけん。平家を討つてを知り給へとしきりに将軍を進め申せしが、果たして六波羅、尊氏たかうぢきやうの為に亡びにき。しかれども四海しかいなほ乱れて二十余年、その間に名を高くせし武士ども、宮方に参らばまた将軍しやうぐん方にくだり、高倉禅門にしよくするかと見れば右兵衛うひやうゑすけ直冬ただふゆに与力し、見を一偏に決せず、道誉だうよ将軍方にして、親類大略討ち死にす。




やがて延分三年(1358)十二月十八日、宰相中将義詮朝臣(足利義詮。足利尊氏の嫡男)が、二十九歳で征夷将軍になりました(室町幕府第二代将軍)。日野左中弁時光(日野時光)を勅使として宣旨を下されると、佐々木太郎判官秀詮(京極秀詮)が宣旨を受け取りました。天下の武功においては申すに及ばぬことでしたが、相続して二代たちまちに将軍の位に就きました、おめでたいことでした。そもそもこの頃将軍家では、我以上に忠の者はないとただむき([能力])を振るう輩が多くいましたが、秀詮が宣旨を受け取った面目は身に余るものでした。その訳を聞けば、祖父佐渡判官入道道誉(佐々木道誉)が、さる元弘のはじめに、相摸入道(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかとき)の振る舞いが悪逆無道([人の道にはずれた、はなはだしい悪事])であり武運はすでに傾くべき時が至りぬと思ったか。平家を討って世を治められよとしきりに将軍を勧めましたが、果たして六波羅は、尊氏卿(足利尊氏)によって滅びました。けれど四海([国内])はなおも乱れて二十余年、その間に名を上げた武士どもは、宮方に参ったかと思えばまた将軍方に降り、高倉禅門(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に属したかと思えば右兵衛佐直冬(足利直冬。足利尊氏の子)に与力し、一方に付くことはありませんでしたが、道誉は常に将軍方として、親類の多くが討ち死にしました。


続く


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by santalab | 2016-05-05 08:56 | 太平記 | Comments(0)

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