Santa Lab's Blog


「太平記」宰相中将殿賜将軍宣旨事(その3)

中にも秀詮ひであきが父、源三判官秀綱ひでつな、去る文和二年六月に山名伊豆いづかみが謀反に依つて、主上しゆしやう帝都を去らせおはしまして、越路こしぢの雲に迷はせ給ふ。ここに新田掃部かもんの助、山名が謀反にせつを得て、堅田かたたの浦にて君を襲ひ奉りし時、秀綱ひでつな返し合はせ命をかろんず。その間に主上延びさせおはします事、ひとへに秀綱が武功に依りてなり。その忠他に異なりとて、秀詮ひであきらを選び出だされけるとぞ。これは建久のいにしへ、鎌倉右兵衛うひやうゑすけ頼朝よりとも朝臣、武将に備はり給ひし時鶴岡つるがをかの八幡宮にて、三浦荒二郎くわうじらう宣旨を受け取り奉りし例とぞ見へし。




中でも秀詮(京極秀詮)の父、源三判官秀綱(京極秀綱)は、去る文和二年(1353)六月に山名伊豆守(山名時氏ときうぢ)の謀反によって、主上(北朝第四代、後光厳天皇)は帝都を去られて、越路の雲に迷われました。ここに新田掃部助は、山名(時氏)の謀反に時を得て、堅田(現滋賀県大津市)の浦で君(後光厳天皇)を襲いましたが、秀綱(佐々木 秀綱)が返し合わせて命を捨ててこれを防ぎました。その間に主上は落ち延びられましたが、これはひとえに秀綱の武功によるものでした。その忠は格別であると、秀詮が選ばれたということです。これは建久の昔、鎌倉右兵衛佐頼朝朝臣(源頼朝)が、武将(征夷大将軍)に任じられた時鶴岡八幡宮(現神奈川県鎌倉市)で、三浦荒二郎(三浦義澄よしずみ)が宣旨を受け取った例と同じに思われました。


[PR]
by santalab | 2016-05-05 08:59 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」持明院殿行幸六波羅事...      「太平記」宰相中将殿賜将軍宣旨... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧