Santa Lab's Blog


「太平記」天下時勢粧の事(その1)

暦応りやくおう元年の末に、四夷八蛮しいはちばんことごとく王家を助けて大軍同時に起こりしかば、今は早や聖運開けぬと見へけるに、北畠顕家あきいへきやう、新田義貞よしさだ、共に流れ矢の為に命を落とし、あまつさ奥州あうしう下向の諸卒、渡海の難風に放されて行き方知らずと聞こへしかば、世の中さてとや思ひけん。結城上野入道が子息大蔵おほくら少輔せうも、父が遺言ゆゐごんを背いて降人かうにんに出でぬ。芳賀はが兵衛ひやうゑの入道禅可ぜんかも、しうの宇都宮入道が子息加賀寿丸かがじゆまるを取り籠めて将軍方しやうぐんがたしよくし、主従の礼儀を乱り己が威勢を欲しいままにす。この時新田の氏族なほ残つて城々に立て籠もり、竹園ちくゑんの連枝時を待つて国々に御座ありといへども、猛虎まうこの檻に篭もり、窮鳥の翼を削がれたるが如くに成りぬれば、戻眼空しく百歩はくほおほひ、悲心遠く九霄きうせうの雲を望んで、ただ時々の変あらん事を待つばかりなり。




暦応元年(1338)の末に、四夷八蛮([中国の周辺地域に存在する異民族])は一人残らず王家(第九十六代、南朝初代後醍醐天皇)を助けて大戦が同時に起こり、今は早や聖運開けぬと思えるところに、北畠顕家卿(北畠顕家)、新田義貞が、共に流れ矢によってに命を落とし、その上奥州に下った諸卒は、渡海の難風に放たれて行き方知らずと聞こえたので、世の中はどうなることかと思われました。結城上野入道(結城宗広むねひろ)の子息大蔵少輔(結城親朝ちかとも)も、父の遺言に背いて降人となりました。芳賀兵衛入道禅可(芳賀高名たかな)も、主の宇都宮入道(宇都宮公綱きんつな)の子息加賀寿丸(宇都宮氏綱うぢつな)を取り籠めて将軍方(足利尊氏)に属し、主従の礼儀を乱し己の威勢を欲しいままにしました。この時新田の氏族はなおも残って城々に立て籠もり、竹園([天子の子孫])の連枝([貴人の兄弟姉妹])時を待って国々におられましたが、猛虎は檻に入れられ、窮鳥([追いつめられて逃げ場を失った鳥])が翼をもがれたようでした、空しく百歩の威から目を背け、遠く九霄([天の高い所])の雲を眺め心を悲しませて、ただ時々の変があることを待つばかりでした。


続く


[PR]
by santalab | 2016-05-06 08:29 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」持明院殿行幸六波羅事...      「太平記」持明院殿行幸六波羅事... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧