懸かるところに伊予の国より専使馳せ来たつて、急ぎ可然大将を一人選びて被下、御方に対して忠戦を可致の由を奏聞したりしかば、脇屋刑部卿義助朝臣を可被下公議定まりけり。されども下向の道、海上も陸地も皆敵陣なり。如何して可下、僉議不一けるところに、備前の国の住人、佐々木の飽浦三郎左衛門の尉信胤早馬を打つて、「去月二十三日小豆島に押し渡り、義兵を挙ぐるところに、国中の忠ある輩馳せ加はつて、逆徒少々打ち順へ、京都運送の舟路を差し塞いで候ふなり。急ぎ近日大将御下向あるべし」とぞ告げたりける。諸卿これを聞きて、大将進発の道開けて、天運機を得たる時至りぬと、悦び給ふ事限りなし。
そうこうするところに伊予国より専使([ある事のために特別に派遣する使者])が急ぎ来て、すぐにしかるべき大将を一人選び下されますよう、味方に付いて忠戦をいたすとの由を奏聞したので、脇屋刑部卿義助朝臣(脇屋義助。新田義貞の弟)を下すと公議が定まりました。けれども下向の道には、海上も陸地も皆敵ばかりでした。いかにして下るべきと、僉議がまとまらぬところに、備前国の住人、佐々木飽浦三郎左衛門尉信胤(飽浦信胤)が早馬を打って、「去月二十三日に小豆島に渡り、義兵を上げましたが、国中の忠ある輩が馳せ加わって、逆徒を少々打ち従え、京都運送の舟路を差し塞いでおります。急ぎ近日の内に大将を下されますよう」と告げました。諸卿はこれを聞いて、大将進発の道が開けて、天運機を得たる時は至りぬと、よろこぶこと限りありませんでした。
(続く)