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「太平記」持明院殿行幸六波羅事(その6)

去るほどに隅田すだ・高橋が大勢、小寺・衣笠が小勢に被追立、返さんとすれども不叶、朱雀しゆじやかを上りに内野うちのを指して引くもあり、七条を東へ向かつて逃ぐるもあり、馬に離れたる者は心ならずかへし合はせて死ぬるもあり。陶山すやまこれを見て、「余りに眺め居て、御方の弱り為出だしたらんも由なし、いざや今は懸け合はせん」と云へば、河野かうの、「子細にや及ぶ」と云ふ侭に、両勢を一手に成して大勢の中へ懸け入り、時移るまでぞ戦ひたる。四武しぶ衝陣しようぢん堅きを砕いて、百戦の勇力変に応ぜしかば、寄せ手またこの陣の軍にも打ち負けて、寺戸を西へ引つ返しけり。筑前のかみ貞範さだのり・律師則祐そくいう兄弟は、最初に桂河かつらがはを渡しつる時の合戦に、逃ぐる敵を追つ立てて、跡に続く御方のなきをも不知、ただ主従六騎にて、竹田を上りに、法性寺大路ほふしやうじのおほちへ懸けとほり、六条河原ろくでうかはらへ打ち出でて、六波羅のたちへ懸け入らんとぞ待つたりける。




やがて隅田・高橋の大勢は、小寺・衣笠の小勢に追い立てられて、返そうとしましたが敵わず、朱雀を上って内野(かつて平安京大内裏のあった場所)を指して引く者もあり、七条を東へ向かって逃げる者もあり、馬に離れた者は心ならずも返し合わせて死ぬ者もいました。陶山はこれを見て、「あまりに眺めて、これ以上味方が弱るのを見てはおれぬ、さあ駆け合わせるぞ」と言えば、河野(河野通盛みちもり)も、「望むところよ」と言うままに、両勢を一手に合わせて大勢の中へ駆け入り、時が移るまで戦いました。四武の衝陣([衝陣馬]=[陣を衝くという名の通り気性の荒い馬。曽頭市の曽長者の四男、曽魁の乗馬]。『水滸伝』)が敵の守りを破ったので、味方も勇力を盛り返し、寄せ手はまたこの陣の軍にも打ち負けて、寺戸(現京都府向日市)を西へ引き返しました。筑前守貞範(赤松貞範。赤松則村のりむらの次男)・律師則祐(赤松則祐のりすけ)兄弟は、最初の桂川を渡った時の合戦で、逃げる敵を追い立てて、後に続く味方がいないのも知らず、ただ主従六騎で、竹田(現京都市伏見区)を上りに、法性寺大路を駆け通り、六条河原に打ち出て、六波羅の館へ駆け入ろうと後陣を待ちました。


続く


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by santalab | 2016-05-08 08:32 | 太平記 | Comments(0)

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