定宗御前に跪て申しけるは、「桓武の皇帝の御宇に、高祖大師当山を開基して、百王鎮護の伽藍を立られ候ひしよりこの方、朝家に悦びある時は、九院挙つて掌を合はせ、山門に愁へある日は、百司等しく心を傾けられずと申す事候はず。まことに仏法と王法と相比する故、人として知らずと云ふ者候ふべからず。されば今逆臣朝廷を危しめんとするに依つて、忝くも万乗の聖主、我が山を御頼みあつて、臨幸成つて候はんずるを、褊し申す衆徒は、一人もあるまじきにて候ふ。身不肖に候へども、定宗一人忠貞を存ずるほどならば、三千の宗徒、二心はあらじと思し召し候ふべし。供奉の官軍さこそ窮屈に候ふらめ。先づ御宿を点じて参らせ候ふべし」とて、二十一箇所の彼岸所、その外坂本・戸津・比叡辻の坊々・家々に札を打つて、諸軍勢をぞ宿しける。
定宗が御前にひざまづいて申すには、「桓武皇帝(第五十代桓武天皇)の御宇に、高祖大師(最澄)が当山(比叡山)を開基して、百王鎮護の伽藍を建られてよりこの方、朝家によろこびある時は、九院([比叡山にある九つの主要な堂塔。一乗止観院・定心院・ 総持院・四王院・戒壇院・八部院・山王院・西塔院・浄土院])は挙って手を合わせ、山門に愁えある日は、百司等しく心を傾けずということはございません。まことに仏法と王法は相並んで、人として知らない者はおりません。なれば今逆臣が朝廷を転覆しようとして、畏れ多くも万乗の聖主が、我が山を頼りにされて、臨幸なされましたこと、軽んじる衆徒は、一人もおりません。身は不肖ではございますが、定宗一人が忠貞を存ずるほどならば、三千の宗徒、二心はないと思われなさいませ。供奉の官軍さぞや窮屈でございましょう。まずは宿を用意いたしましょう」と申して、二十一箇所の彼岸所(現滋賀県大津市にある日吉大社境内の各所に設けられた仏教施設)、そのほか坂本・戸津・比叡辻の坊々・家々に札を打って、軍勢の宿としました。
(続く)