その後また南岸坊の僧都・道場坊の祐覚、同宿千余人召し具して、先づ内裏に参じ、やがて十禅師に立ち登つて大衆を起こし、僉議の趣きを院々・谷々へぞ触れ送りける間、三千の衆徒悉く甲冑を帯して馳せ参る。先づ官軍の兵粮とて、銭貨六万貫・米穀七千石・波止土濃の前に積んだりければ、祐覚これを奉行して、諸軍勢に配分す。さてこそいまだ医王山王も、我が君を捨てさせ給はざりけりと、敗軍の士卒悉く頼もしき事には思ひけれ。
その後また南岸坊の僧都・道場坊祐覚が、同宿千余人を連れて、まず内裏に参り、やがて十禅師に立ち登って大衆([僧])を起こし、僉議の趣きを院々・谷々へぞ触れ送ると、三千の衆徒([僧])は一人残らず甲冑を帯して馳せ参りました。まず官軍の兵粮として、銭貨六万貫・米穀七千石・波止土濃の前に積んだので、祐覚がこれを奉行([命令を受けて執行すること])して、諸軍勢に配分しました。いまだ医王(薬師如来。比叡山延暦寺の根本中堂の本尊)山王(山王権現。日吉大社の祭神)も、我が君(南朝初代後醍醐天皇)を見捨てられておられぬと、敗軍の士卒([兵士])は残らず頼もしく思いました。