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「太平記」将軍入洛の事付親光討死の事(その1)

明くれば正月十一日、将軍八十万騎はちじふまんぎにて都へ入り給ふ。兼ねては合戦事故ことゆゑなくして入洛せば、持明院ぢみやうゐん殿の御方のゐん・宮々の御中に一人御位おんくらゐに即け奉て、天下の政道をば武家より計らひまうすべしと、議定ぎぢやうせられたりけるが、持明院の法皇・儲王ちよわう・儲君一人も残らせ給はず、皆山門へ御幸ごかう成りたりける間、将軍自ら万機のまつりごとをし給はん事も叶ふまじ、天下の事いかがすべきと案じわづらふてぞおはしける。結城ゆふき大田おほた判官はうぐわん親光ちかみつは、この君に二心なき者なりと深く頼まれまゐらせて、朝恩てうおんに誇る事かたはらに人なきが如くなりければ、鳳輦ほうれん供奉ぐぶせんとしけるが、この世の中、とても今ははかばかしからじと思ひければ、いかにもして将軍を狙い奉らん為に、わざと都に落ち止まりてぞ居たりける。ある禅僧を縁に執つて、降参かうさん仕るべき由を将軍へまうし入れたりければ、「親光が所存よもまことの降参にてはあらじ、ただ尊氏をたばからん為にてぞあるらん。さりながら事のやうを聞かん」とて、大友おほとも左近の将監しやうげんをぞ遣はされける。




明ければ(建武けんむ三年(1336))正月十一日、将軍(足利尊氏)は八十万騎を引き連れて都へ入りました。合戦することなく入洛した後は、持明院殿方(持明院統。第九十三代後伏見院・第九十五代花園院)の院・宮々の中から一人選び帝位に即けて、天下の政道を武家より取り計らい申し上げようと、議定していましたが、持明院の法皇・儲王(北朝初代光厳くわうごん天皇)・儲君([皇太子])は一人残らず、皆山門(比叡山)に御幸になられていたので、将軍自ら万機の政を執り行うこともできず、天下をどのように治めるべきか思い悩んでいました。結城大田判官親光(結城親光)は、君(北朝初代光厳くわうごん天皇)に二心ない者と深く信用されて、朝恩に誇ること並ぶことがありませんでしたので、鳳輦([天皇の乗り物])に供奉しようとしましたが、今の世の中は、とても望むべくもないと思って、なんとかして将軍(尊氏)を討とうと、わざと都に残っていたのでした。ある禅僧を通じて、降参する旨を将軍に申し入れると、尊氏は「親光のことだまさか本気で降参するとも思えない、ただこの尊氏を謀ろうとしておるのだろう。とは申せ話を聞かないわけにはいかない」と申して、大友左近将監(大友貞載さだとし)を遣わしました。


続く


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by santalab | 2016-05-08 23:28 | 太平記 | Comments(0)

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