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「太平記」将軍入洛の事付親光討死の事(その2)

さるほどに大友おほとも太田おほた判官はうぐわんと、楊梅東洞院やまももひがしのとうゐんにて行き合ひたり。大友は元より少し思慮なき者なりければ、結城に向かつて、「御降参かうさんの由を申されさふらひつるに依つて、それがしを御使ひにて事の由をよくよく尋ねよと仰せらるるにて候ふ。何様降人の法にて候へば、御物の具を脱がせ給ひ候ふべし」と、荒らかにことばをぞ懸けたりける。親光ちかみつこれを聞いて、さては将軍早や我が心中を推量あつて、打つ手の使ひに大友を出だされたりと心得て、「物の具を脱がせよとの御使ひにて候はばまゐらせ候はん」と云ふままに、三尺八寸の太刀を抜いて、大友に馳せ懸かり、兜のしころより元首もとくびまで、切つ先五寸ばかりぞ打ち込みたる。大友も太刀を抜かんとしけるが、目や暮れけん、一尺ばかり抜き懸けて馬よりさかさまに落ちて死にけり。これを見て大友が若党わかたう三百余騎、結城ゆふきが手の者十七騎を中に取り籠めて、余さずこれを討たんとす。結城が郎等らうどうどもは、元より主と共に討ち死にせんと、思ひ切つたる者どもなれば、中々戦ひてはなにかせんとて、引つ組んでは刺し違へ刺し違へ、一足も引かず、一所にて十四人まで討たれにけり。敵も御方もこれを聞いて、「あたらつはものを、時の間に失ひつる事のうたてしさよ」と、をしまぬ人こそなかりけれ。




やがて大友(大友貞載さだとし)と太田判官(結城親光ちかみつ)は、楊梅東洞院(現京都市下京区)で会いました。大友(貞載)は本来少し考え浅はかな者でしたので、結城(親光)に向かって、「降参したいと申されているとのこと、このわたしを使いにして事情をよく聞くようにと命じられておる。降人となられたのだ、物の具([武具])を脱いで参るのが筋ではないか」と、荒っぽい言葉をかけました。親光はこれを聞いて、将軍(足利尊氏)はすでにわたしの心の内を分かっておられるのだろう、打手の使いとして大友(貞載)を遣ったと思い、「物の具を脱げと使いが申されるのなら脱ぎましょう」と言いながら、三尺八寸の太刀を抜いて、大友(貞載)に斬りかかり、兜の錏([兜の鉢の左右・後方につけて垂らし、首から襟を防御とするもの])から元首([首元])にかけて、切っ先五寸([約15cm])ばかり打ち込みました。大友(貞載)も太刀を抜こうとしましたが、目が暮れたか、一尺ばかり抜きかけて馬よりさかさまに落ちて死にました。これを見て大友(貞載)の若党([若い侍])三百騎余りは、漏らさず結城(親光)の手の者十七騎を中に取り籠めて、漏らさず討とうとしました。結城(親光)の郎等([家来])どもは、もとより主とともに討ち死にしようと、覚悟を決めた者たちでしたので、戦ったところで勝ち目はないと、引っ組んでは刺し違えて、一歩も引かず、一所で十四人討たれました。敵も味方もこれを聞いて、「あれほど勇敢な兵を、あっという間に失ったことが残念だ」と、惜しまない者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2016-05-08 23:34 | 太平記 | Comments(0)

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