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「太平記」持明院殿行幸六波羅事(その7)

東寺より寄せつる御方、早や打ち負けて引きかへしけりと思えて、東西南北に敵より外はなし。さらばしばらく敵に紛れてや御方を待つと、六騎の人々皆笠符かさじるしをかなぐり捨てて、一所にひかへたる処に、隅田すだ・高橋打ちまはつて、「如何様いかさま赤松が勢ども、なほ御方に紛れてこの中にありと思ゆるぞ。河を渡しつる敵なれば、馬物の具の濡れぬは不可有。それをしるしにして組み討ちに打て」と呼ばはりける間、貞範さだのり則祐そくいうも中々敵に紛れんとせば悪しかりぬべしとて、兄弟・郎等わづか六騎くつばみを双べわつとをめいて敵二千騎にせんぎが中へ懸け入り、ここに名乗りかしこに紛れて相戦あひたたかひけり。敵これほどに小勢なるべしとは可思寄事ならねば、東西南北に入り乱れて、同士打どしうちをする事数刻すごくなり。大敵をはかるにいきほひ久しからざれば、郎等らうどう四騎皆所々にて被討ぬ。筑前のかみは被押隔ぬ。則祐はただ一騎に成つて、七条を西へ大宮おほみやを下りに落ち行きけるところに、印具いぐ尾張をはりかみ郎従らうじゆう八騎追つ懸けて、「敵ながらも優しく思へ候ふ者かな。誰人たれひとにてをはするぞ。御名乗り候へ」と云ひければ、則祐馬をしづかに打つて、「身不肖ふせうに候へば、名乗りまうすとも不可有御存知候ふ。ただ首を取つて人に被見候へ」と云ふ侭に、敵近付けばかへし合はせ、敵引けば馬を歩ませ、二十にじふ余町よちやうが間、敵八騎と打ち連れて心閑かにぞ落ち行きける。




東寺(現京都市南区にある教王護国寺)より寄せた味方は、早くも打ち負けて引き返したと思われて、東西南北は敵ばかりでした。ならばしばらく敵に紛れて味方を待とうと、六騎の人々は皆笠符をかなぐり捨てて、一所に控えているところに、隅田・高橋が打ち廻って、「きっと赤松の勢どもが、味方に紛れてこの中にいると思えるぞ。川を渡った敵である、馬物の具([武具])が濡れぬはずがない。それを目印にして組んで討て」と叫んだので、貞範(赤松貞範。赤松則村のりむらの次男)も則祐(赤松則祐のりすけ。赤松則村のりむらの子)も敵に紛れるのはよくないと、兄弟・郎等([家来])わずか六騎轡を並べわっと喚いて敵二千騎の中へ駆け入り、ここに名乗りかしこに紛れて戦いました。敵はこれほど小勢とは思いもしなかったので、東西南北に入り乱って、数刻のあいだ同士討ちをしました。大敵を騙す企みはやがて顕れて、郎等四騎は皆所々で討たれました。筑前守(赤松貞範)は押し隔てられました。則祐はただ一騎になって、七条を西へ大宮を下って落ち行くところに、印具尾張守の郎従八騎が追いかけて、「敵ながら心惹かれる人よ。誰人であられるや。名乗り下され」と言うと、則祐は馬の足を緩めて、「名乗るほどの身ではござらぬあ、名乗ったところで知ってはおられまい。ただ首を取って人に見せるがよかろう」と言うままに、敵が近付けば返し合わせ、敵が引けば馬を歩ませ、二十余町(約2km)の間、敵八騎と打ち連れてゆっくり歩ませて落ち行きました。


続く


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by santalab | 2016-05-09 07:30 | 太平記 | Comments(0)

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