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「太平記」持明院殿行幸六波羅事(その8)

西八条の寺のまへを南へ打ち出でければ、信濃のかみ貞範さだのり三百余騎、羅城門らしやうもんの前なる水のせぜらきに、馬の足を冷やして、敗軍の兵を集めんと、旗打ち立てて控へたり。則祐そくいうこれを見付けて、諸鐙もろあぶみを合はせて馳せ入りければ、追つ懸けつる八騎の敵ども、「善き敵と見つる物を、つひに打ち漏らしぬる事の不安さよ」と云ふこゑ聞こへて、馬の鼻を引きかへしける。しばらくあれば、七条河原しちでうがはら西朱雀にししゆじやかにて被懸散たるつはものども、ここかしこより馳せ集まつて、また千余騎に成りにけり。赤松その兵を東西の小路こうぢより進ませ、七条辺にて、また鬨の声を揚げたりければ、六波羅勢七千余騎、六条ろくでうゐんを後ろに当て、追つつかへしつ二時許りぞ責め合ひたる。かくては軍の勝負いつあるべしとも思へざりける処に、河野かうの陶山すやまとが勢五百余騎、大宮おほみやを下りに打つて出で、後ろをつつまんとまはりける勢に、後陣を被破て、寄せ手若干そくばく討たれにければ、赤松わづかの勢に成つて、山崎を指して引つかへしけり。




西八条の寺(西八条第。平清盛の邸宅)の前を南へ打ち出ると、信濃守貞範(赤松貞範。赤松則村のりむらの次男)三百余騎が、羅城門(羅城門は980年に倒壊したらしい)の前のせせらぎに、馬の足を冷やして、敗軍の兵を集めようと、旗を打ち立てて控えていました。則祐(赤松則祐のりすけ。赤松則村のりむらの子)は貞範さだのり(赤松則祐の兄)を見付けて、諸鐙を合わせて馳せ入ったので、追いかけていた八騎の敵どもは、「よき敵と思えるものを、遂に打ち漏らしたことが残念よ」と言う声が聞こえて、馬の鼻を引き返しました。しばらくすると、七条河原・西朱雀で駆け散らされた兵どもが、ここかしこより馳せ集まって、また千余騎になりました。赤松(則村)はその兵を東西の小路より進ませ、七条辺で、また鬨の声を上げたので、六波羅勢七千余騎は、六条院(現在京都市東山区にある東福寺の塔頭、万寿寺)を後ろに当て、追いつ返しつ二時ばかり攻め合いました。こうして軍の勝負がいつつくとも思えぬところに、河野と陶山の勢五百余騎が、大宮を下りに打って出て、後ろを囲もうと廻る勢に、後陣を破られて、寄せ手の若干が討たれたので、赤松はわずかの勢になって、山崎(現大阪府三島郡島本町)を指して引き返しました。


続く


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by santalab | 2016-05-10 08:02 | 太平記 | Comments(0)

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