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「太平記」菊池合戦事(その1)

少弐せうに大友おほともは、菊池に九国を打ち従へられて、その成敗に随ふ事安からず思ひければ、細川伊予のかみの下向を待つて旗を上げんとくはたてけるが、伊予の守、崇徳院しゆとくゐん御霊ごりやうに罰せられて、犬死にしぬと聞こへければ、力を失ひて機をあらはさず。斯かるところに畠山治部ぢぶ太輔たいふが、いまだ宮方には随はで立て籠もりたる六笠むかさじやうを攻めんとて、菊池肥後の守武光たけみつ五千余騎にて、十一月十七日肥後の国を立つて日向ひうがの国へぞ向かひける。道四日路よつかぢが間、山を越え川を渡つて、行き先は嶮岨けんそに跡は難所にてぞありける。少弐・大友、菊池が催促に応じて、豊後の国中こくぢゆうに打ち出でて勢揃へをしけるが、これこそよき時分なりと思ひければ、菊池を日向の国へ遣り過ごして後、大友刑部ぎやうぶ太輔たいふ氏時うぢとき、旗を上げて豊後の高崎の城に取り上る。宇都宮大和前司ぜんじは、川を前にして豊前の路を塞ぎ、肥前の刑部の太輔は、山を後ろに当てて筑後の道をぞ塞ぎける。菊池すでに前後の大敵に取り籠められていづくへか引くべき。ただの内の鳥、網代あじろの魚の如しと、あはれまぬ人もなかりけり。




少弐(少弐頼尚よりなほ)・大友(大友氏時うぢとき)は、菊池(菊池武光たけみつ)に九国を打ち従えられましたが、その成敗に従うことに納得せず、細川伊予守(細川清氏きようぢ)の下向を待って旗上げしようと企てていましたが、伊予守が、崇徳院(第七十五代天皇)の御霊に罰せられて、犬死にしたと聞こえたので、気力を失って事を起こすことはありませんでした。そうこうするところに畠山治部太輔(畠山直顕ただあき)が、いまだ宮方に従わず立て籠もる六笠城(穆佐むかさ城。現宮崎県宮崎市)を攻めようと、菊池肥後守武光(菊池武光)は五千余騎で、十一月十七日に肥後国を立って日向国に向かいました。道中四日路の間、山を越え川を渡って、行く先は嶮岨後ろは難所でした。少弐(頼尚)・大友(氏時)は、菊池(武光)の催促に応じて、豊後国中に打ち出でて勢揃いしましたが、これこそよい機会と思い、菊池を日向国に遣り過ごした後、大友刑部太輔氏時は、旗を上げて豊後の高崎城(高崎山城。現大分県大分市)に取り上りました。宇都宮大和前司は、川を前にして豊前の路を塞ぎ、肥前刑部太輔は、山を後ろに当てて筑後の道を塞ぎました。菊池(武光)は前後の大敵に取り籠められて逃れる術はありませんでした。ただ籠の中の鳥、網代の魚と、憐れに思わぬ人はいませんでした。


続く


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by santalab | 2016-05-10 12:47 | 太平記 | Comments(0)

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