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「太平記」菊池合戦事(その5)

同じき七月十九日に、菊池は先づ己が手勢五千余騎にて筑後川ちくごがはを打ち渡り、少弐せうにが陣へ押し寄す。少弐いかが思ひけん戦はず、三十余町よちやう引き退き大原おほはらに陣を取る。菊池続ひて攻めんとしけるが、あはひに深き沼あつて細道一つありけるを、三所みところ堀り切つて、細き橋を渡したりければ、渡るべきやうもなかりけり。両陣わづかに隔てて旗のもん鮮やかに見ゆるほどになれば、菊池わざと少弐を恥づかしめる為、金銀にて月日を打つて付けたる旗の蝉本せみもとに、一紙いつし起請文きしやうもんをぞ押したりける。これは去年太宰の少弐、古浦ふるうらじやうにてすでに一色いつしき宮内くない太輔たいふに討たれんとせしを、菊池肥後のかみ大勢を以つて後攻ごづめをして、少弐を助けたりしかば、少弐悦びに堪へず、「今より後子孫七代に至るまで、菊池の人々に向かつて弓を引き矢を放つ事あるべからず」と、熊野の牛王ごわうの裏に、血を絞りて書きたりし起請きしやうなれば、今情けなく心替はりしたるところのうたてしさを、かつうは天に訴へ、かつうは人に知らしめる為になりけり。




同じ(延元元年(1336))七月十九日に、菊池(菊池武光たけみつ)はまず己の手勢五千余騎で筑後川を打ち渡り、少弐(少弐頼尚よりひさ)の陣へ押し寄せました。少弐(頼尚)は何を思ったか戦わず、三十余町引き退いて大原に陣を取りました。菊池は続いて攻めようとしましたが、間には深い沼があり細道が一本ありましたが、三所堀り切って、細い橋を渡すだけでしたので、渡れるとも思えませんでした。両陣はわずかに隔てて旗の紋がはっきりと見えるほどでしたので、菊池(武光)は少弐(頼尚)を恥ずかしめるために、金銀で月日を打って付けた旗の蝉本([旗竿の上部])に、一紙の起請文を付けました。これは去年太宰少弐が、古浦城(現福岡県久留米市)ですでに一色宮内大輔(一色直朝なほとも)に討たれるところを、菊池肥後守(武光)が大勢で後詰め([先陣の後方に待機している軍勢])をして、少弐を助けると、少弐はよろこびに堪えず、「今より後子孫七代に至るまで、菊池の人々に向かって弓を引き矢を放つことはない」と、熊野の牛王([熊野牛王符]=[熊野三山で配布される特殊な神札])の裏に、血を絞って書いた起請でしたので、情けなく心替わりした情けなさを、ひとつは天に訴え、ひとつは人に知らしめるためでした。


続く


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by santalab | 2016-05-11 23:26 | 太平記 | Comments(0)

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