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「太平記」京軍事(その1)

昨日神南かうないの合戦に山名打ち負けて、本陣へ引つ返しぬと聞こへしかば、将軍比叡山ひえいさんを打ち下り下つて、三万余騎の勢を率し、東山に陣を取る。仁木左京さきやうの大夫頼章よりあきらは、丹後・丹波の勢三千余騎を従へて、嵐山に取り上がる。京より南、淀・鳥羽・赤井・八幡やはたに至るまでは、宮方の陣となり、東山・西山・山崎・西岡にしのをかは、皆将軍しやうぐん方の陣となる。その中にありとあらゆる神社仏閣は役所の掻楯かいだての為にこぼたる。山林竹木はたきぎ・櫓のれうに切り尽くさる。京中きやうぢゆうをば敵横合ひに懸かる時、見透かす様になせとて、東山より寄せて日々夜々にちにちややに焼き払ふ。白河をば敵を雨露にをかさせて、人馬に気を尽くさせよとて、東寺より寄せて焼き払ふ。わづかに残る竹苑ちくゑん枡庭せうてい・里内裏・三台・九棘きうきよくの宿所宿所、皆門戸もんこを閉ぢて人もなければ、野干やかんの栖みかとなり果て、荊棘けいきよくとぼそおほへり。




昨日の神南(現大阪府高槻市)の合戦に山名(山名時氏ときうぢ)が打ち負けて、本陣に引き返したと聞こえたので、将軍(室町幕府初代将軍、足利尊氏)は比叡山を下りて、三万余騎の勢を率し、東山に陣を取りました。仁木左京大夫頼章(仁木頼章)は、丹後・丹波の勢三千余騎を従えて、嵐山(現京都市右京区)に取り上がりました。京より南、淀(現京都市伏見区)・鳥羽(現京都市南区・伏見区)・赤井・八幡(現京都府八幡市)に至るまでは、宮方(第九十七代、南朝第二代後村上天皇)の陣となり、東山・西山・山崎(現大阪府三島郡島本町)・西岡(現京都府向日市)は、皆将軍方の陣となりました。その中のありとあらゆる神社仏閣は役所([戦陣で、将士が本拠としている所])の掻楯([垣根のように楯を立て並べること])のために壊されました。山林竹木は薪木・櫓の材料として切り尽しました。京中は敵が横手から攻めようとすれば、見通せるようにと、東山より寄せて日々夜々焼き払いました。白河(現京都市左京区)は敵を雨露に晒して、人馬を疲れさせよと、東寺(現京都市南区にある教王護国寺)より寄せて焼き払いました。わずかに残る竹苑([皇族])・枡庭([椒庭]=[皇后])・里内裏・三台([太政大臣・ 左大臣・右大臣])・九棘([公卿])の宿所は、皆門戸をを閉じて人もなく、野干([キツネ])の住みかとなり果て、荊棘([イバラなど、とげのある低い木])が扉を覆っていました。


続く


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by santalab | 2016-05-16 08:09 | 太平記 | Comments(0)

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