Santa Lab's Blog


「太平記」京軍事(その2)

さるほどに二月八日、細川相摸のかみ清氏きようぢ千余騎にて、四条大宮しでうおほみやへ押し寄せ、北陸道ほくろくだうの敵八百余騎に駆け合つて、追うつ返しつ終日ひねもすに戦ひ暮らして、左右へさつと引き退くところに、紺糸のよろひに紫の母衣ほろ懸けて、黒瓦毛くろかはらけなる馬に厚総あつぶさ懸けて乗つたる武者、年のほど四十ばかりに見へたるが、ただ一騎馬を閑々しづしづと歩ませ寄りて、「今日の合戦に、進む時は士卒しそつに先立ちて進み、引く時は士卒に後れて引かれ候ひつるは、いかさま細川相摸の守殿にてぞおはすらん。声を聞きても我を誰とは知り給はんずれども、日すでに夕陽せきやうになりぬれば分明ふんみやうに見分くる人もなくて、遭はぬ敵にや逢はんずらんと存ずる間、事新しく名乗り申すなり。これは今度北陸道を打ち従へて罷り上りて候ふ桃井もものゐ播磨の守直常なほつねにて候ふぞ。あはれ相摸殿に参り会うて、日来承りおよびし力のほどをも見奉り、直常が太刀のかねをも金引いて御覧候へかし」と、高声かうしやうに名乗り懸けて、馬を北頭きたがしらに立ててぞ控へたる。




やがて二月八日、細川相摸守清氏(細川清氏)は千余騎で、四条大宮へ押し寄せ、北陸道の敵八百余騎と駆け合って、追いつ追われつ終日戦い暮らして、左右へさっと引き退くところに、紺糸の鎧に紫の母衣([甲冑着用の際に、縦に縫い合わせた長い布を背中につけたもの])を懸けて、黒瓦毛の馬に厚総([馬具で、面繋おもがい・胸繋・尻繋の各部につけた糸の総を特に厚く垂らしたもの])を懸けて乗った武者が、年のほど四十ばかりに見えましたが、ただ一騎馬を閑々と歩ませ寄って、「今日の合戦に、進む時は士卒に先立って進み、引く時は士卒に後れて引かまするは、きっと細川相摸守殿(細川清氏)でござるか。声を聞いても我を誰とは知っておらぬでしょうが、日すでに夕陽になればはっきりと見分けることもできず、これと思わぬ敵に遭ったと思っておるやと、わざと名乗るのだ。これは今度北陸道を打ち従えて罷り上った桃井播磨守直常(桃井直常)よ。相摸殿に参り会うて、日来聞いておる力のほどを見て、この直常の太刀をも金引いて([刀の切れ味を試す])ご覧あれ」と、高声で名乗って、馬を北頭に立てて控えました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-05-16 08:20 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」京軍事(その3)      「太平記」京軍事(その1) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧