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「太平記」山徒寄京都事(その1)

京都に合戦始まりて、官軍くわんぐんややもすれば利を失ふ由、その聞こへありしかば、大塔宮おほたふのみやより牒使てふしを被立て、山門の衆徒しゆとをぞ被語ける。これによつて三月二十六日にじふろくにちに一山いつさんの衆徒大講堂の庭に会合して、「夫吾山者為七社応化之霊地、作百王鎮護之藩籬。高祖かうそ大師占開基之始、止観窓前雖弄天真独朗之夜月、慈恵僧正為貫頂之後、忍辱衣上忽帯魔障降伏之秋霜。尓来妖孽えうげつ見天、則振法威而攘退之。逆暴乱国、則借神力而退之。肆神号山王。須有非三非一之深理矣。山言比叡。所以仏法王法之相比焉。而今四海しかい方乱、一人不安。武臣積悪之余、果天将下誅。其先兆非無賢愚。共所世知也。王事毋鑑もろいことなし。釈門仮使雖為出塵之徒、此時奈何無尽報国之忠。早翻武家合体之前非宜専朝廷扶危之忠胆矣」と僉議せんぎしければ、三千一同に尤々もつとももつともと同じて院々谷々ゐんゐんたにたにへ帰り、すなはち武家追討つゐたうくはだての外無他事。




京都での合戦が始まって、官軍がもしや敗れるのではないかと、噂に聞こえれば、大塔宮護良もりよし親王)より牒使を立てて、山門の衆徒([僧])に呼び掛けられました。こうして三月二十六日に一山の衆徒は大講堂の庭に会合して、「我が山(延暦寺)は七社(山王七社)の神の応化([仏や菩薩が衆生を救うために,時機に応じた姿となって現れること])の霊地、百王に渡る鎮護の藩籬([藩屏]=[王家を守護するもの])である。高祖大師(伝教大師=最澄)が開基の初め、止観([ 天台宗で、禅定 により心の動揺を払って一つの対象に集中し、正しい智慧を起こして仏法を会得すること])の窓前に天真独朗([無相の一念に悟入すれば、 生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達するということ。最澄が在唐の時、道邃 だうすい)=中国・唐代の天台宗の僧侶、天台宗の第七祖。から口伝された語という])の夜の月を楽しむといえども、慈恵僧正(良源=元三ぐわんざん大師。天台宗中興の祖)が貫頂([貫首]=[天台座主])の後は、忍辱衣([袈裟])の上にはたちまち魔障降伏の秋霜を帯びて、天が尓来妖孽([怪しい災い。また、不吉なことが起こる前ぶれ])を見れば、たちまち法威を振るいこれを退ける。逆暴が国を乱し、すなわち神力を借りてこれを退ける。神を山王と呼ぶ所以である。非三非一([三諦=天台宗の根本教義の一。空・仮・中の三つの真理。は三に非ず一に非ず])をもって深理とせねばならぬ。これを以って山を比叡と呼ぶ。詰まるところ仏法王法は一対のものではないか。とは申せ今四海は乱れて、一人(天皇。第九十六代後醍醐天皇)の心は安からず。武臣の目に余る積悪を、天将が誅さずにおれようか。その先兆([前兆])は賢愚関わりなく、皆の知るところであろう。王事毋鑑([王の事業は堅固でなければならないということ])。雖為出塵([俗世間の汚れから逃れること。出家して僧となること])が無駄になろうとも釈門を仮使([休暇])して、今国に報いるために忠を尽くすべきではないか。武家が合体する前に一刻も早く朝廷の危機を助け忠義を見せるべきではないのか」と僉議すると、三千(延暦寺の衆徒の数)は一同にもっともなことよと賛同して院々谷々に帰り、たちまち武家追討の企てのほかに他事はありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-05-18 07:30 | 太平記 | Comments(0)

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