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「太平記」京軍事(その6)

また同じき日の晩景ばんげいに、仁木右京うきやうの大夫義長よしなが・土岐大膳だいぜんの大夫頼康よりやす、その勢三千余騎にて七条河原しちでうがはらへ押し寄せ、桃井もものゐ播磨のかみ直常ただつね・赤松弾正少弼だんじやうせうひつ氏範うぢのり・原・蜂屋が勢二千余騎と寄り合はせて、川原かはら三町さんちやうを東西へ追つかへしつ、烟塵えんぢんを捲いて戦ふ事二十にじふ余度に及べり。中にも桃井播磨の守がつはものども、半ば過ぎて疵をかうむりければ、悪手あらてを替へて相助たすけん為に、東寺へ引つ返しけるほどに、土岐の桔梗一揆百余騎に被攻立、返し合はする者は切つて落とされ、城へ引き篭もる者は城戸きど・逆茂木にかれ不入得。城中じやうちゆう騒ぎあわてて、すはや只今この城被攻落ぬとぞ見へたりける。赤松弾正少弼氏範は、郎等らうどう小牧こまき五郎左衛門ごらうざゑもんが痛手を負うて引き兼ねたるを助けんと、むまの上より手を引き立てて歩ませけるを、大将直冬ただふゆ朝臣、高櫓の上より遥かに見給ひて、「返して御方を助けよ」と、扇を揚げて二三度まで招かれける間、氏範、小牧五郎左衛門を掻ひ掴んで城戸きどの内へ投げ入れ、五尺七寸の太刀の鐔本つばもと取り延べて、ただ一騎かへし合はせ返し合はせ、馳せ並べ馳せ並べ切りけるに、あるひは兜の鉢を立てりに胸板まで破り付けられ、あるひは胴中を瓜切りに斬つて落とされけるほどに、さしも勇める桔梗一揆叶はじとや思ひけん、七条河原しちでうがはらへ引き退いて、その日の軍は止まりけり。




また同じ日の晩景([夕刻])に、仁木右京大夫義長(仁木義長)・土岐大膳大夫頼康(土岐頼康)が、その勢三千余騎で七条河原へ押し寄せ、桃井播磨守直常(桃井直常)・赤松弾正少弼氏範(赤松氏範。赤松則村のりむらの子)うぢのり・原・蜂屋の勢二千余騎と寄り合わせて、河原三町を東西へ追いつ返しつ、煙塵を巻いて戦うこと二十余度に及びました。中でも桃井播磨守の兵どもは、半ばを過ぎて疵を負ったので、新手に替えて手助けして、東寺(現京都市南区にある教王護国寺)に引き返すところに、土岐(頼康)の桔梗一揆([土岐氏一族の強力な武士団])百余騎に攻め立てられて、返し合わせる者は切って落とされ、城へ引き籠もろうとする者は城戸・逆茂木に塞がれて城に入ることができませんでした。城中は騒ぎあわてて、あわや今にもこの城が攻め落とされるのではないかと思われました。赤松弾正少弼氏範は、郎等([家来])の小牧五郎左衛門が痛手を負って引き兼ねているのを助けようと、馬上より手を引いて馬を歩ませていましたが、大将直冬朝臣(足利直冬。足利尊氏の子)が、高櫓の上より遥かに見て、「返して味方を助けよ」と、扇を上げて二三度まで招いたので、氏範は、小牧五郎左衛門を掴むと城戸の内へ投げ入れ、五尺七寸の太刀の鐔本を取り、ただ一騎返し合わせ返し合わせ、馳せ並べ馳せ並べ切りました、ある者は兜の鉢を立て破りに胸板まで破り付けられ、ある者は胴中を瓜切りに斬って落とされて、さしも勇める桔梗一揆も敵わないと思ったか、七条河原へ引き退いて、その日の軍は終わりました。


続く


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by santalab | 2016-05-18 08:14 | 太平記 | Comments(0)

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