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「太平記」山徒寄京都事(その4)

去るほどに前陣の大衆しばらく法勝寺に付いて後陣の勢を待ちける処へ、六波羅勢七千余騎三方さんぱうより押し寄せて鬨をどつと作る。大衆鬨の声に驚いて、物の具太刀よ長刀なぎなたよとひしめいて取る物も不取敢、わづかに千人許りにて法勝寺の西門の前に出で合ひ、近付く敵に抜いて懸かる。武士は予ねてよりたくみたる事なれば、敵の懸かる時は馬を引きかへしてばつと引き、敵留まれば開き合はせて後ろへ懸けまはる。如此六七度がほど懸け悩ましける間、山徒は皆歩立かちだちのうへ重鎧おもよろひに肩を被推て、次第に疲れたるていにぞ見へける。武士はこれに利を得て、射手を揃へて散々に射る。大衆これに射立てられて、平場の合戦叶はじとや思ひけん、また法勝寺の中へ引き篭もらんとしける処を、丹波の国の住人ぢゆうにん佐治さちの孫五郎と云ひけるつはもの、西門の前に馬を横たへ、その頃かつてなかりし五尺三寸の太刀を以つて、敵三人不懸筒切つて、太刀の少しのつたるを門の扉に当てて推しなほし、なほも敵を相待あひまつて、西頭にしがしらに馬をぞ控へたる。山徒これを見て、そのいきほひにや辟易しけん。また法勝寺にも敵ありとや思ひけん。法勝寺へ不入得、西門の前を北へ向かつて、真如堂しんによだうの前神楽岡かぐらをかの後ろを二つに分かれて、ただ山上さんじやうへとのみ引つ返しける。




やがて前陣の大衆([僧])はしばらく法勝寺(かつて現京都市左京区岡崎辺にあった寺院)で後陣の勢を待つところに、六波羅勢七千余騎が三方より押し寄せて鬨をどっと作りました。大衆は鬨の声に驚いて、物の具([武具])はどこだ太刀は長刀はとひしめいて取るものも取り敢えず、わずかに千人ばかりで法勝寺の西門の前に出て、近付く敵に抜いて懸かりました。武士はあらかじめ計略を廻らしていましたので、敵が懸かれば馬を引き返してぱっと引き、敵が止まれば開き合わせて後ろへ駆け廻りました。こうして六七度ほど駆け悩ましたので、山徒は皆歩立ちの上、重鎧が堪えて、次第に疲れたように見えました。武士はこれに利を得て、射手を揃えて散々に矢を射ました。大衆は射立てられて、平場の合戦は敵わないと思ったか、また法勝寺の中へ引き籠もろうとするところを、丹波国の住人佐治孫五郎と言う兵が、西門の前に馬を横たえると、当時見なかった五尺三寸(約160cm)の太刀で、敵三人を難なく筒切りにして、太刀が少し曲がったのを門の扉に当てて押し直し、なおも敵を待って、西頭に馬を控えました。山徒([延暦寺の僧])はこれを見て、その勢いに辟易([相手の勢いに圧倒されてしりごみすること])したのか。また法勝寺にも敵がいると思ったか。法勝寺には入ることができずに、西門の前を北へ向かって、真如堂(現京都市左京区にある真正極楽寺)の前神楽岡(現京都市左京区吉田神楽岡町)の後ろを二つに分かれて、ただ山上へと引き返しました。


続く


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by santalab | 2016-05-20 07:24 | 太平記 | Comments(0)

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