ここに東塔の南谷善智房の同宿に豪鑒・豪仙とて、三塔名誉の悪僧あり。御方の大勢に被引立て、不心北白河を指して引きけるが、豪鑒豪仙を呼び留めて、「軍の習ひとして、勝つ時もあり負くる時もあり、時の運による事なれば恥にて不恥。雖然今日の合戦の体、山門の恥辱天下の嘲哢たるべし。いざや御辺、相共に返し合はせて打ち死にし、二人が命を捨てて三塔の恥を雪めん」と云ひければ、豪仙、「云ふにや及ぶ、尤も庶幾する所なり」と云つて、二人蹈み留まつて法勝寺の北の門の前に立ち並び、大音声を揚げて名乗りけるは、「これほどに引き立つたる大勢の中より、ただ二人返し合はするを以つて三塔一の剛の者とは可知。その名をば定めて聞き及びぬらん、東塔の南谷善智坊の同宿に、豪鑒・豪仙とて一山に名を知られたる者どもなり。我と思はん武士ども、寄れや、打ち物して、自余の輩に見物せさせん」と云ふ侭に、四尺余りの大長刀水車に廻して、跳り懸かり跳り懸かり火を散らしてぞ切つたりける。これを打ち取らんと相近付ける武士ども、多く馬の足を被薙、兜の鉢を被破て被討にけり。
ここに東塔の南谷善智房の同宿([同じ寺に住み、同じ師について修行すること。また、その僧])に豪鑒・豪仙という、三塔に名高い悪僧([武勇に秀で た荒々しい僧。荒法師])がいました。味方の大勢に押されて、心ならずも北白川(現京都府京都市左京区)を指して引き退いていましたが、豪鑒は豪仙を呼び留めて、「軍というもの、勝つ時もあれば負ける時もあり、時の運によるものならば恥も恥でなし。とはいえ今日の合戦は、山門の恥辱天下の嘲哢となろう。お主よどうだ、ともに返し合わせて討ち死にし、二人の命を捨てて三塔の恥を雪ごうではないか」と言うと、豪仙も、「我もそう思っていたところよ、それこそもっとも庶幾([心から願うこと])するところよ」と言って、二人は踏み留まって法勝寺(かつて現京都市左京区岡崎辺にあった寺院)の北門の前に立ち並び、大音声を上げて名乗るには、「これほどに引き立つ([逃げ腰になる])大勢の中より、ただ二人返し合わすのだ三塔一の剛の者と思うであろう。その名をきっと聞き及んであろうが、東塔の南谷善智坊の同宿に、豪鑒・豪仙と申して一山に名を知られた者よ。我と思わん武士どもよ、寄れや、打ち物([太刀])の軍して、自余の輩に見物させてやろうとは思わぬか」と言うままに、四尺余りの大長刀を水車のように廻して、跳り懸かり跳り懸かり火を散らして切り懸けました。これを討ち取ろう近付く武士どもは、多く馬の足を薙がれ、兜の鉢を破られて討たれました。
(続く)