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「太平記」四月三日合戦の事付妻鹿孫三郎勇力の事(その2)

さてこそ山門の衆議しゆぎ心々に成つて武家に心を寄する衆徒も多く出で来にければ、八幡やはた・山崎の官軍くわんぐんは、先度京都の合戦に、あるひは被討、あるひは疵をかうむる者多かりければ、その勢太半減じて今はわづかに、一万騎いちまんぎに足らざりけり。 されども武家の軍立いくさだち、京都の形勢ありさま恐るるに不足と見透かしてげれば、七千余騎を二手に分けて、四月三日の卯の刻に、また京都へ押し寄せたり。その一方には、殿の法印ほふいん良忠りやうちゆう中院なかのゐん定平さだひらを両大将として、伊東・松田・頓宮とんぐう富田とんだの判官が一党いつたう、並びに真木・葛葉のあふれ者どもを加へてその勢都合つがふ三千余騎、伏見・木幡こばたに火を懸けて、鳥羽・竹田より推し寄する。また一方には、赤松入道円心ゑんしんを始めとして、宇野・柏原かしはばら佐用さよ真嶋ましま・得平・衣笠、菅家くわんけ一党いつたう都合その勢三千五百余騎、河嶋かうしま・桂の里に火を懸けて、西の七条よりぞ寄せたりける。




こうして山門の衆議は思い思いになって武家に心を寄せる衆徒も多くなりました、八幡(現京都府八幡市)・山崎(現大阪府三島郡島本町)の官軍は、先度の京都の合戦で、あるいは討たれ、あるいは疵を被る者が多くいましたので、その勢は大半減じて今はわずかに、一万騎にも足りませんでした。けれども武家の軍、京都の形勢は恐れるに足りずと見透かして、七千余騎を二手に分けて、四月三日の卯の刻([午前六時頃])に、また京都へ押し寄せました。その一方には、殿の法印良忠(二条良実よしざねの孫らしい)・中院定平を両大将として、伊東・松田・頓宮・富田判官の一党、並びに真木(現大阪府枚方市牧野)・葛葉(現大阪府枚方市楠葉)の溢れ者([ならず者])どもを加えてその勢都合三千余騎で、伏見(現京都市伏見区)・木幡(現京都府宇治市)に火を懸けて、鳥羽(現京都市でも南区・伏見区)・竹田(現京都市伏見区)より押し寄せました。また一方には、赤松入道円心(赤松則村のりむら)をはじめとして、宇野・柏原・佐用・真嶋・得平・衣笠、菅家の一党都合その勢三千五百余騎が、川島(現京都市西京区)・桂の里(現京都市西京区)に火を懸けて、西七条より寄せました。


続く


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by santalab | 2016-05-24 07:31 | 太平記 | Comments(0)

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