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「太平記」四月三日合戦の事付妻鹿孫三郎勇力の事(その4)

その日の巳の刻より、三方さんぱうながら同時に軍始まつて、入れ替へ入れ替へ責め戦ふ。寄せ手は騎馬の兵少なくして、入れ替へ歩立かちだち射手多ければ、小路小路こうぢこうぢを塞ぎ、やじり調そろへて散々に射る。六波羅勢は歩立かちだちは少なくして、騎馬の兵多ければ、懸け違ひ懸け違ひ敵を中に篭めんとす。孫子が千反せんぺんはかりごと、呉氏が八陣の法、互ひに知りたる道なれば、共に不被破不被囲、ただ命をきはの戦ひにて更に勝負もなかりけり。終日ひねもす戦つてすでに夕陽せきやうに及びける時、河野かうの陶山すやまと一手に成つて、三百余騎くつばみを双べて懸けたりけるに、木幡こはたの寄せ手足をも溜めず被懸立て、宇治路うぢぢを指して引き退く。陶山・河野、逃ぐる敵をば打ち捨てて、竹田河原かはら直違すぢかひに、鳥羽殿の北の門を打ちまはり、作道つくりみちへ懸け出でて、東寺の前なる寄せ手を取り篭めんとす。作道十八町に充満したる寄せ手これを見て、叶はじとや思ひけん、羅城門らしやうもんの西を横切りに、寺戸を指して引つ返す。




その日の巳の刻([午前十時頃])より、三方から同時に軍が始まって、入れ替わり入れ替わり攻め戦いました。寄せ手は騎馬兵が少なく、入れ替わり歩立ちの射手が多くいましたので、小路小路を塞ぎ、鏃を揃えて散々に矢を射ました。六波羅勢は歩立ちは少なく、騎馬兵が多くいましたので、駆け違い駆け違い敵を中に籠めようとしました。孫子の千反(九変?)の謀、呉氏の八陣([八種の陣形])の法、互いに知った道でしたので、ともに破られず囲まれず、ただ命を際に戦って勝負はつきませんでした。終日戦ってすでに夕陽([夕刻])になろうとしていましたが、河野と陶山が一手になって、三百余騎轡を並べて駆けると、木幡の寄せ手は足を留めることもできないほど駆け立てられて、宇治路を指して引き退きました。陶山・河野は、逃げる敵を打ち捨てて、竹田河原を横切り、鳥羽殿の北門(現京都市伏見区)を廻って、作道に駆け出て、東寺(現京都市南区にある教王護国寺)の前の寄せ手を取り籠めようとしました。作道十八町に充満した寄せ手はこれを見て、敵わないと重ったのか、羅城門の西を横切って、寺戸(現京都府向日市)を指して引き返しました。


続く


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by santalab | 2016-05-26 08:24 | 太平記 | Comments(0)

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