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「太平記」兵部卿親王流刑の事付驪姫事(その4)

宮は一間なる所の蜘手結うたる中に、まゐり通ふ人独りもなうして、泪の床に起き伏させ給ふにも、こはいかなる我が身なれば、弘元の始めは武家のために隠身、木の下岩の狭間はざまに露敷く袖を干し兼ね、帰洛の今は一生いつしやうの楽しみ未だ一日もへざるに、為讒臣被罪、刑戮けいりくうちには苦しむらんと、知らぬ前世の報いまでも思し召し残す方もなし。「虚名不久立」云ふ事あれば、さりとも君も可被聞召直思し召しける処に、公儀すでに遠流をんるに定まりぬと聞こへければ、不堪御悲、内々御心寄せの女房にようばうして、委細の御書を遊ばし、付伝奏急ぎ可経奏聞由を被仰遣。その消息せうそくに云はく、


先以勅勘之身欲奏無罪之由、涙落心暗、愁結言短。唯以一令察万、加詞被恤悲者、臣愚生前之望云足而已。夫承久しようきう以来、武家把権朝廷棄政年尚矣。臣苟不忍看之、一解慈悲忍辱法衣、忽被怨敵降伏之堅甲。内恐破戒之罪、外受無慙之譏。雖然為君依忘身、為敵不顧死。当斯時忠臣孝子雖多朝、或不励志、或徒待運。臣独無尺鉄之資、揺義兵隠嶮隘之中窺敵軍。肆逆徒専以我為根元之間、四海しかい下法、万戸以贖。誠是命雖在天奈何身無措処。昼終日臥深山幽谷、石岩敷苔。夜通宵出荒村遠里跣足蹈霜。撫龍鬚消魂、践虎尾冷胸幾千万矣。遂運策於帷幄之中、亡敵於斧鉞ふえつ之下。竜駕方還都、鳳暦永則天、恐非微臣之忠功、其為誰乎。而今戦功未立、罪責忽来。風聞其科条、一事非吾所犯、虚説所起惟悲不被尋究。仰而将訴天、日月不照不孝者、俯而将哭地、山川無載無礼臣。父子義絶、乾坤共棄。何愁如之乎。自今以後勲業為孰策。行蔵於世軽、綸宣儻被優死刑、永削竹園之名、速為桑門之客。君不見乎、申生死而晋国乱、扶蘇刑而秦世傾。浸潤之そしり膚受ふじゆうつたへ、事起于小、禍皆逮大。乾臨何延古不かがみ今。不堪懇歎之至、伏仰奏達。誠惶、誠恐謹言。
三月五日
護良もりよし
前左大臣殿

とぞ被遊ける。




宮(護良もりよし親王)は一間の蜘手を張り廻らされた内で、参り通う人は一人もなく、涙の床に起き伏していましたが、いったい我が身はどういう運命なのか、弘元の初めには武家のために身を隠し、木の下岩の狭間に露敷く袖を干し兼ねて、帰洛の今は一生の楽しみのいまだ一日も終わらぬうちに、讒臣によって罪を被り、刑戮([刑罰に処すること])に苦しまねばならぬもかと、知らぬ前世の報いまでも思い遣って悲しみは尽きませんでした。「虚名([事実とは違っている悪い噂])は長く立たず」ということあらば、きっと君(第九十六代後醍醐天皇)も真実を聞かれて思う直すこともあろうかと思っていましたが、公儀すでに遠流に定まったと聞こえたので、悲しみに堪えず、内々心を寄せていた女房を通じて、委細の書を書いて、付伝奏([親王家、摂家、寺社、武家などの奏請を院、天皇に伝え奏する職])に付けて急ぎ奏聞に入れるよう命じました。その消息([文])には、

勅勘の身として無罪である由を奏上いたします、涙に暮れて心は沈み、愁えに耽っておりますれば端的に申し上げます。ただ一令(一度の命令)をもって万を察せられ、悲しむ者に憐れみを垂れられて、愚かな臣の生前のわずかな望みを叶えられますよう。そもそも承久以来、武家が朝廷の権を握り政を捨てて年を経て参りました。臣はいやしくして見るに堪えず、慈悲忍辱([種々の侮辱や苦しみを耐え忍び心を動かさないこと])の法衣を脱いで、たちまちにして堅甲([かたくて丈夫な鎧])の怨敵を降伏至らしめました。内には破戒の罪を恐れ、外には無慙([戒律を破って心に少しも恥じるところがないこと])の譏りを受けながら。けれども君(第九十六代後醍醐天皇)のために身を軽んじ、敵の前にして死を顧みることはありませんでした。わたしのほかにも忠臣孝子([親によく仕える子。親孝行な子])は多くおりましたが、あるいは心ざしを励まさず、あるいは徒らに時が来るのを待ちました。臣は尺鉄([わずかな武器])をも持たず、義兵は落ちて嶮隘の中に隠れて敵軍を窺うばかり。逆徒は元より己の欲のためだけに、四海([国内])に法を下し、万戸([一万戸の領地。広大な領地])を我が物としておりました。まことわたしの運命は天にあり身の置き所もありませんでした。昼終日深山幽谷に臥しては、石岩の苔を敷いて眠りました。宵に深山幽谷を出ては夜通し荒村遠里の霜を踏んで進みました。龍の鬚を撫でては魂を消し、虎の尾を踏んでは胸を冷やすこと幾千万度でしたか。結句敵を斧鉞([おのと、まさかり])をもって亡ぼしたのです。竜駕([天子の乗り物])を都に還させ、天に任せ鳳暦([天子の治世の年数])を永らしめたのは、畏れながら微臣の忠功ではありませんか、いったい誰のためになしたことか。いまだ戦功立つことなくして、罪の責めがたちまちにおとずれました。噂に聞くところするところ、一事はわたしが犯した罪にあらず、虚説([事実無根のことをいいふらす噂])によって悲しむその元をお尋ねになっていただきたいのです。今は天の訴えを蒙り、日月も照らぬ不孝者となり、地に伏して嘆く、山川([大地])も踏めぬ無礼の臣となりました。父子の義を絶ち、乾坤([天と地])に居場所はありません。どうして悲しまないことがありましょう。今後は勲業([国家や君主に尽くす働き、仕事])のために尽くすためにこの身を捧げたいと。世を行蔵([隠遁し世に出ないこと。出処進退])することを願います、どうか死刑の綸宣([綸言])を宥められ、竹園([天子の子孫。皇族])の名を永く削られて、速やかに桑門([出家して修行する人。僧侶])の客となされますように。君(後醍醐天皇)は知っておられましょう、申生(第十九代晋公、献公の子)が死んで国は乱れ、扶蘇(秦始皇帝の長男)を刑に処し世は傾むきました(扶蘇が父始皇帝の焚書坑儒に諫言したため怒りを買い、僻地の蒙恬もうてん=秦の将軍。の駐屯地へ遠ざけられた)。浸潤の誹り([水がすこしずつ浸みこんでいくように、徐々に非難 や悪口が信じられていくこと。 またそうした巧みな話術で人をたぶらかすこと])は、膚受の訴え([痛切な訴え])となり、些細な事が、皆大きな禍となった例です。乾臨([天子の行う裁決・処置])を古に求められて今のかがみ([戒め])になさろうとはされないのですか。懇嘆の至りに堪えずして、仰せに平伏するとともに奏達いたすものです。まことに恐れ多いことですが、畏まり謹言いたします。
三月五日
護良
前左大臣殿(近衛経忠つねただ?)

と書かれてありました。


続く


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by santalab | 2016-05-29 17:05 | 太平記 | Comments(0)

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