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「太平記」兵部卿親王流刑の事付驪姫事(その5)

この御文、もし達叡聞、宥免いうめんの御沙汰もあるべかりしを、伝奏てんそう諸々もろもろいきどほりを恐れて、つひに不奏聞ければ、上天隔听中心の訴へ不啓。この二三年宮に奉付副、致忠待賞御内の候人こうにん三十さんじふ余人、ひそかに被誅之上は不及兎角申、遂に五月三日、宮を直義ただよし朝臣の方へ被渡ければ、以数百騎すひやくき軍勢路次ろしを警固し、鎌倉へ下し奉つて、二階堂のやつに土のろうを塗つてぞ置きまゐらせける。南の御方おかたまうしける上臈女房じやうらふにようばう一人より外は、着き副ひ進らする人もなく、月日の光も見へぬ闇室あんしつの内に向かつて、横切る雨に御袖を濡らし、岩のしただりに御枕を干し侘びて、年の半ばを過ごし給ひける御心の内こそ悲しけれ。君一旦の逆鱗に鎌倉へ下しまゐらせられしかどもこれまでの沙汰あれとは叡慮も不赴けるを、直義ただよし朝臣日来の宿意を以つて、奉禁篭けるこそ浅ましけれ。孝子その父に雖有誠、継母その子をざんする時は傾国失家事古よりそのるゐ多し。




この文が、もし叡聞に達していたならば、宥免の沙汰もあったでしょうが、伝奏は諸々の憤りを恐れて、終に奏聞に入れることはありませんでしたので、心中の思いを上天に届けたいとの願いは叶いませんでした。この二三年宮(護良もりよし親王)に付き添い、忠を致し賞を待つ身内の候人([門跡や諸大寺に仕えた妻帯・僧形の衆])三十余人も、密かに誅せられたのでとかく申すべくもなく、遂に五月三日、宮を直義朝臣(足利直義。足利高氏の弟)の方へ渡されました、数百騎の軍勢が路次を警固し、鎌倉へ下し、二階堂谷に土篭を塗って置きました。南御方(藤原保藤やすふぢの娘)と申す上臈女房一人のほかは、着き添う人もなく、月日の光も見えぬ闇室の内に向かって、横切る雨に袖を濡らし、岩の滴に枕を干し侘びて、年の半ばを過ごす心の内こそ悲しいものでした。君(第九十六代後醍醐天皇)の一旦の逆鱗に鎌倉へ下されましたがこれほどの沙汰があるとは思いもしませんでした、直義朝臣は日来の宿意故に、禁篭に及びましたが嘆かわしいことでした。孝子は父に真ありといいますが、継母が子を讒する([他人を陥れるために事実でない悪口を言うこと])時は国は傾き家を失うと古よりその例は多くありました。


続く


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by santalab | 2016-05-30 23:39 | 太平記 | Comments(0)

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