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「太平記」四月三日合戦の事付妻鹿孫三郎勇力の事(その9)

美作みまさかの国の住人ぢゆうにん菅家くわんけの一族は、三百余騎にて四条しでう猪熊ゐのくままで責め入り、武田の兵庫ひやうごの助・糟谷かすや・高橋が一千余騎の勢と懸け合つて、時移るまで戦ひけるが、跡なる御方の引き退きぬるていを見て、元より引かじとや思ひけん。また向かふ敵に後ろを見せじとや恥ぢたりけん。有元菅四郎佐弘ありもとくわんしらうすけひろ・同じき五郎佐光すけみつ・同じき又三郎佐吉すけよし兄弟三騎、近付く敵に馳せ双べ引つ組んで臥したり。佐弘すけひろは今朝の軍に膝口を被切て、力弱りたりけるにや、武田の七郎に押さへられて首を被掻、佐光は武田の二郎が首を取る。佐吉は武田が郎等らうとうと差し違へて共に死にけり。敵二人ににんも共に兄弟、御方二人も兄弟なれば、死に残つては何かせん。いざや共に勝負せんとて、佐光と武田の七郎と、持ちたる首を両方へ投げ捨てて、また引つ組んで指し違ふ。これを見て福光ふくみつの彦二郎佐長すけなが殖月うゑつきの彦五郎重佐しげすけ・原田彦三郎佐秀すけひで・鷹取彦二郎種佐たねすけ同時に馬を引つ退し、むずと組んではどうど落ち、引つ組んでは指し違へ、二十七人にじふしちにんの者ども一所にて皆討たれければ、その陣の軍は破れにけり。




美作国の住人菅家の一族は、三百余騎で四条猪熊(四条大宮)まで攻め入り、武田兵庫助・糟谷・高橋の一千余騎の勢と懸け合って、時が移るまで戦いましたが、後ろの味方が引き退くのを見て、元より引くまいと思っていたのか。また向かう敵に後ろを見せじと恥じたのか。有元菅四郎佐弘(有元佐弘)・同じく五郎佐光(有元佐光)・同じく又三郎佐吉(有元佐吉)兄弟三騎が、近付く敵に馳せ並べ引っ組んで臥しました。佐弘は今朝の軍で膝口を切られて、弱っていたのか、武田七郎に押さえられて首を掻かれ、佐光は武田二郎の首を取りました。佐吉は武田の郎等([家来])と刺し違えてともに死にました。敵二人もともに兄弟、味方二人も兄弟でしたので、死に残ったところで何かせん。ともに勝負しようと、佐光(有元佐光)と武田七郎は、持っていた首を両方へ投げ捨てて、また引っ組んで刺し違えました。これを見て福光彦二郎佐長(福光佐長)・殖月彦五郎重佐(植月重佐)・原田彦三郎佐秀(原田佐秀)・鷹取彦二郎種佐(鷹取種佐)は同時に馬を引き返し、むずと組んではどっと落ち、引つ組んでは刺し違え、二十七人の者どもが一所にて皆討たれたので、その陣の軍は敗れました。


続く


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by santalab | 2016-05-31 07:38 | 太平記 | Comments(0)

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