昔異国に晋の献公と云ふ人おはしけり。その后斉姜三人の子を生み給ふ。嫡子を申生と云ひ、次男を重耳、三男を夷吾とぞ申しける。三人の子すでに長成りて後、母の斉姜病ひに侵されて、忽ちに無墓成りにけり。献公歎之不浅しかども、別れの日数漸く遠く成りしかば、移れば替はる心の花に、昔の契りを忘れて、驪姫と云ひける美人をぞ被迎ける。この驪姫ただ紅顔翠黛迷眼のみに非ず、また巧言令色君の心を令悦しかば、献公の寵愛甚だしうして、別れし人の化は夢にも不見成りにけり。かくて経年月ほどに、驪姫また子を生めり。これを奚齊とぞ名付ける。奚齊未だ幼しといへども、母の寵愛に依つて、父の覚へ三人の太子に超えたりしかば、献公常に前の后斉姜の子三人を捨てて、今の驪姫が腹の子奚齊に、晋の国を譲らんと思へり。驪姫心には嬉しく乍思、上に偽つて申しけるは、「奚齊未だ幼くして不弁善悪を、賢愚更に不見前に、太子三人を超えて、継此国事、これ天下の人の可悪処」と、時々に諌め申しければ、献公いよいよ驪姫が心に無私、世の譏りを恥ぢ、国の安からん事を思へる処を感じて、ただ万事を被任之しかば、その威ますます重く成つて天下皆これに帰伏せり。
昔異国(中国)に晋(春秋時代)の献公(第十九代晋公)という人がいました。その后斉姜は三人の子を生みました。嫡子を申生といい、次男を重耳、三男を夷吾といいました(重耳・夷吾は斉姜の子ではないらしい)。三人の子が大人になって、母の斉姜は病に冒されて、たちまちにはかなくなりました。献公の嘆きは浅いものではありませんでしたが、別れの日数はようやく遠くなって、移れば替わる心の花に、昔の契りを忘れて、驪姫という美人を妃に迎えました。驪姫の紅顔([年が若く血色のよい顔])翠黛([緑色のまゆずみ])は目を惑わすばかりでなく、巧言令色([人に媚びへつらう様])は君の心をよろこばせたので、献公の寵愛は尋常ではなく、別れた人(斉姜)の面影を夢にも見なくなりました。こうして年月を経るほどに、驪姫は子を生みました。この子は奚斉と名付けられました。奚斉はまだ幼い者でしたが、母の寵愛によって、父(献公)の覚えは三人の太子を超えたものでしたので、献公は常々前の后斉姜の子三人を捨てて、今の驪姫の腹の子奚斉に、晋国を譲ろうと思っていました。驪姫は心ではうれしく思いながら、表面では偽り申して、「奚斉はまだ幼く善悪をわきまえていませんし、賢愚のほども知れぬ前に、太子三人を超えて、この国を継げば、天下の人はどう思うでしょうか」と、時々に諌め申したので、献公はますます驪姫に私心はあるまい、世の譏りを恥じ、国の太平を案じることに感心して、万事を任せるようになりました、驪姫の威はますます重くなって天下は皆驪姫に帰伏([服従])しました。
(続く)