ある時嫡子の申生、母の追孝の為に、三牲の備へを調へて、斉姜の死して埋れし曲沃の墳墓をぞ被祭ける。その胙の余りを、父の献公の方へ奉り給ふ。献公折節狩場に出で給ひければ、この胙を裹んで置きたるに、驪姫潛かに鴆と云ふ恐ろしき毒を被入たり。献公狩場より帰つて、軈てこの胙を食はんとし給ひけるを、驪姫申されけるは、「外より贈れる物をば、先づ人に食はせて後に、大人には進らする事ぞ」とて御前なりける人に食はせられたるに、その人忽ちに血を吐いて死にけり。こはいかなる事ぞとて、庭前なる鶏・犬に食はせて見給へば、鶏・犬ともに斃れて死ぬ。献公大きに驚いてその余りを土に捨て給へば、捨てたる処の土穿げて、あたりの草木皆枯れ萎む。驪姫偽つて泪を流し申しけるは、「我太子申生を思ふ事奚齊に不劣。されば奚齊を太子に立てんとし給ひしをも、我こそ諌め申して止めつるに、さればよこの毒を以つて、我と父とを殺して、早く晋の国を捕らんと被巧けるこそうたてけれ。これを以つて思ふに、献公いかにも成り給ひなん後は、申生よも我と奚齊とをば、一日片時も生けて置き給はじ。願はくは君我を捨て、奚齊を失ひて、申生の御心を休め給へ」と泣く泣く献公にぞ申されける。
ある時(献公の)嫡子の申生は、母の追孝のために、三牲([鶏・魚・豚])の供え物を調え、斉姜(献公の妃で、申生の母)が埋まっている曲沃(山西省臨汾市)の墳墓を祀りました。その胙([神に供える肉・米・餅 など])の余りを、父の献公(第十九代晋公)に贈りました。献公はちょうど狩場に出ていたので、この胙を包んで置いて帰りましたが、驪姫(献公の妃)が密かに鴆([中国に棲 むという、毒をもつ鳥])という猛毒を入れました。献公が狩場より帰って、やがてこの胙を食おうとしましたが、驪姫が申すには、「他所から贈られら物は、まず人に毒見させた後に、大人([地位や身分の高い人])に参らせるものです」と御前の人に食わえると、その人はたちまたに血を吐いて死にました。これはどういうことかと、庭前の鶏・犬に食わせて見ると、鶏・犬ともに倒れて死にました。献公はたいそう驚いてその残りを土に捨てると、捨てたところの土に沁み込んで、あたりの草木は皆枯れ萎んでしまいました。驪姫は偽りの涙を流して申すには、「わたしの太子申生への思いは奚斉(驪姫の子で、中国春秋時代の第二十代晋公)に劣るものではありません。ですから奚斉を太子に立てようとなさった時にも、わたしばかりが諌め申して止めましたのに、どうしてこの毒で、わたしと父とを殺して、早く晋の国を捕ろうとするのでしょう悲しいことです。そういうことであれば、献公がこの世になき後は、申生はよもやわたしと奚斉を、一日片時も生かしてはおかないでしょう。願わくは君(献公)よわたしを捨て、奚斉を殺し、申生の心を安められますよう」と泣く泣く献公に申しました。
(続く)