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「太平記」兵部卿親王流刑の事付驪姫事(その7)

ある時嫡子の申生しんせい、母の追孝つゐけうの為に、三牲さんせいの備へを調へて、斉姜せいきやうの死してうづもれし曲沃きよくをく墳墓ふんぼをぞ被祭ける。そのひもろぎの余りを、父の献公の方へ奉り給ふ。献公折節をりふし狩場に出で給ひければ、この胙をつつんで置きたるに、驪姫りきひそかにちんと云ふ恐ろしき毒を被入たり。献公狩場よりかへつて、やがてこの胙を食はんとし給ひけるを、驪姫申されけるは、「外より贈れる物をば、先づ人に食はせて後に、大人たいじんにはまゐらする事ぞ」とて御前おんまへなりける人に食はせられたるに、その人忽ちに血を吐いて死にけり。こはいかなる事ぞとて、庭前なるけいけんに食はせて見給へば、鶏・犬ともにたふれて死ぬ。献公おほきに驚いてその余りを土に捨て給へば、捨てたる処の土穿げて、あたりの草木皆枯れしぼむ。驪姫偽つて泪を流しまうしけるは、「我太子申生しんせいを思ふ事奚齊けいせいに不劣。されば奚齊を太子に立てんとし給ひしをも、我こそ諌め申して止めつるに、さればよこの毒を以つて、我と父とを殺して、早くしんの国を捕らんと被巧けるこそうたてけれ。これを以つて思ふに、献公いかにも成り給ひなん後は、申生よも我と奚齊とをば、一日片時へんしも生けて置き給はじ。願はくは君我を捨て、奚齊を失ひて、申生の御心を休め給へ」と泣く泣く献公にぞ申されける。




ある時(献公の)嫡子の申生は、母の追孝のために、三牲([鶏・魚・豚])の供え物を調え、斉姜(献公の妃で、申生の母)が埋まっている曲沃(山西省臨汾りんふん市)の墳墓を祀りました。その胙([神に供える肉・米・餅 など])の余りを、父の献公(第十九代晋公)に贈りました。献公はちょうど狩場に出ていたので、この胙を包んで置いて帰りましたが、驪姫(献公の妃)が密かに鴆([中国に棲 むという、毒をもつ鳥])という猛毒を入れました。献公が狩場より帰って、やがてこの胙を食おうとしましたが、驪姫が申すには、「他所から贈られら物は、まず人に毒見させた後に、大人([地位や身分の高い人])に参らせるものです」と御前の人に食わえると、その人はたちまたに血を吐いて死にました。これはどういうことかと、庭前の鶏・犬に食わせて見ると、鶏・犬ともに倒れて死にました。献公はたいそう驚いてその残りを土に捨てると、捨てたところの土に沁み込んで、あたりの草木は皆枯れ萎んでしまいました。驪姫は偽りの涙を流して申すには、「わたしの太子申生への思いは奚斉(驪姫の子で、中国春秋時代の第二十代晋公)に劣るものではありません。ですから奚斉を太子に立てようとなさった時にも、わたしばかりが諌め申して止めましたのに、どうしてこの毒で、わたしと父とを殺して、早く晋の国を捕ろうとするのでしょう悲しいことです。そういうことであれば、献公がこの世になき後は、申生はよもやわたしと奚斉を、一日片時も生かしてはおかないでしょう。願わくは君(献公)よわたしを捨て、奚斉を殺し、申生の心を安められますよう」と泣く泣く献公に申しました。


続く


by santalab | 2016-05-31 08:37 | 太平記

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