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「太平記」四月三日合戦の事付妻鹿孫三郎勇力の事(その10)

播磨の国の住人ぢゆうにん妻鹿めが孫三郎まごさぶらう長宗ながむねと申すは、薩摩の氏長うぢながすゑにて、力人に勝れ器量きりやう世に超えたり。生年しやうねん十二の春の頃より好んで相撲すまふを取りけるに、日本につぽん六十ろくじふ余州よしうの中には、遂に片手にも懸かる者なかりけり。人はるゐを以つてあつまる習ひなれば、相伴あひともなふ一族十七人じふしちにん、皆これ世の常の人には越えたり。されば他人の手を不交して一陣に進み、六条ろくでう坊門ばうもん大宮おほみやまで責め入りたりけるが、東寺・竹田より勝軍かちいくさして帰りける六波羅の勢三千余騎に被取巻、十七人は被打て、孫三郎まごさぶらう一人ぞ残りたりける。「生きて無甲斐命なれども、君の御大事これに限るまじ。一人なりとも生き残つて、後の御用にこそ立ため」と独り言して、ただ一騎西朱雀にししゆじやかを指して引きけるを、印具いぐ駿河のかみの勢五十ごじふ余騎にて追つ懸けたり。その中に、年の程二十許りなる若武者、ただ一騎馳せ寄せて、引いて帰りける妻鹿孫三郎に組まんと近付いて、鎧の袖に取り着きける処を、孫三郎これを物ともせず、長きひぢを指し延べて、よろひ総角あげまきを掴んで宙に引つ提げ、馬のうへ三町許りぞ行きたりける。




播磨国の住人妻鹿孫三郎長宗(妻鹿長宗)と申す者は、薩摩氏長(平安初期の伝説の相撲人らしい)の子孫で、力は人に勝れ器量([能力])は世に超えていました。生年十二の春頃より好んで相撲を取って、日本六十余州の中には、片手の勝負でさえ敵う者はいませんでした。人は類をもって集まるものでしたので、一族十七人も、皆これ世の常の人に力勝っていました。なれば他人の手を混ぜずに一陣に進み、六条坊門大宮まで攻め入りましたが、東寺・竹田より勝軍して帰っていた六波羅の勢三千余騎に取り巻かれ、十七人は打たれて、孫三郎一人だけが生き残りました。「生きて甲斐のない命ではあるが、君(第九十六代後醍醐天皇)の大事はこの度ばかりではあるまい。一人なりとも生き残って、後の御用に立とう」と独り言して、ただ一騎西朱雀を指して引くところを、印具駿河守(印具時高ときたか)の勢五十余騎で追い懸けました。その中に、年のほど二十ばかりの若武者が、ただ一騎で馳せ寄せて、引いて戻る妻鹿孫三郎に組もうと近付いて、鎧の袖に取り付きましたが、孫三郎は物ともせず、長く肘を差し伸ばし、鎧の総角([鎧の背や兜の鉢の後ろの環につけた、揚巻結びの緒])を掴んで宙に引っ提げ、馬上に掲げて三町ばかり進みました。


続く


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by santalab | 2016-06-01 11:46 | 太平記 | Comments(0)

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