献公元来智浅うして讒を信ずる人なりければ、大きに忿つて太子申生を可討由、典獄の官に被仰付。諸群臣皆、申生の無罪して死に赴かんずる事を悲しみて、「急ぎ他国へ落ちさせ給ふべし」とぞ告げたりける。申生これを聞き給ひて、「我少年の昔は母を失うて、長年の今継母に逢へり。これ不幸の上に妖命備はれり。そもそも天地の間いづれの所にか父子のなき国あらん、今為遁其死他国へ行きて、これこそ父を殺さんとて鴆毒を与へたりし大逆不幸の者よと、見る人毎に悪まれて、生きては何の顔ばせかあらん。我が不誤処をば天知之。ただ虚名の下に死を賜はつて、父の忿りを休めんには不如」とて、討つ手の未だ来たらざる前に自ら剣に貫かれて、遂に空しく成りにけり。その弟重耳・夷吾この事を聞きて、驪姫が讒のまた我が身の上に成らん事を恐れて、二人ともに他国へぞ逃げ給ひける。
献公(第十九代晋公)は元より思慮浅く讒([他人を陥れるために事実でない悪口を言うこと])を容易く信じる人でしたので、たいそう怒って太子申生(晋公の子)を討つようにと、典獄([監獄の事務をつかさどる官吏])の長官に命じました。群臣は皆、申生が罪なく死に赴くことを悲しんで、「急ぎ他国へ逃げなさい」と知らせました。申生はこれを聞いて、「わたしは少年の昔に母を失い、長年を経て継母を得ました。これ不幸の上に妖命([不吉な運命])故のこと。そもそも天地の間いずれの所に父子のない国があろうか、今死を遁れて他国へ行けば、これこそ父を殺そうとして鴆毒([鴆 という(伝説の)鳥の羽にあるという猛毒])を与えた大逆([人の道に背く最も悪い行い。主君や親を殺すことなど])不幸の者よと、見る人毎に憎まれて、生きて何の面目があろう。わたしに過ちがないことを天は知っておろう。ただ虚名の下に死を賜わって、父の怒りを静めたい」と申して、討手がまだ寄せる前に自ら剣に貫かれて、遂に空しくなりました。申生の弟重耳・夷吾はこれを聞いて、驪姫(晋公の妃)の讒がまた我が身の上になることを恐れて、二人ともに他国へ逃げました(驪姫の乱)。
(続く)