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「太平記」主上自令修金輪法給ふ事付千種殿京合戦の事(その8)

大将のおはしつる本堂へ入つて見れば、よくあわてて被落けりと思へて、錦の御旗、鎧直垂ひたたれまで被捨たり。備後三郎腹を立てて、「あはれこの大将、如何なる堀がけへも落ち入つて死に給へかし」と独り言して、しばらくはなほだうの縁に歯嚼はがみをして立つたりけるが、「今はさこそ手の者どもも待ち兼ねたるらめ」と思ひければ、錦の御旗許りを巻いて、下人に持たせ、急ぎ浄住寺の前へ走り下り、手の者打ち連れて馬を早めければ、追分おひわけの宿の辺にて、荻野をぎの彦六にぞ追ひ付きける。荻野は、丹波・丹後・出雲・伯耆へ落ちける勢の、篠村しのむら稗田ひえだの辺に打ち集まつて、三千余騎ありけるを相伴あひともなひ、路次ろしの野伏を追ひ払うて、丹波国高山寺かうせんじじやうにぞ立て篭もりける。




大将(千種忠顕ただあき)がいる本堂に入って見れば、たいそうあわてて落ちて行ったと思えて、錦の旗、鎧直垂([鎧の下に着る着物])まで捨ててありました。備後三郎(児島高徳たかのり)は腹を立てて、「なんという大将だ、いかなる堀がけにも落ちて死ねばよい」と独り言して、しばらくはなほ堂の縁に歯ぎしりして立っていましたが、「今は手の者どもも待ち兼ねておるであろう」と思い、錦の旗ばかりを巻いて、下人に持たせ、急ぎ浄住寺(現京都市西京区にある寺院)の前へ走り下り、手の者を打ち連れて馬を早めれば、追分宿の辺で、荻野彦六に追い付きました。荻野は、丹波・丹後・出雲・伯耆へ落ちて行く勢が、篠村(現京都府亀岡市にある篠村八幡宮)・稗田(現京都府亀岡市)の辺に打ち集まっていた、三千余騎を伴い、路次の野伏を追ひ払って、丹波国の高山寺城(現兵庫県丹波市)に立て籠もりました。


続く


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by santalab | 2016-06-10 07:26 | 太平記 | Comments(0)

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