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「太平記」足利殿着御篠村則国人馳参事(その6)

かねがね六波羅に議しけるは、「今度諸方のかたき牒合てふじあはせて、大勢にて寄するなれば、平場の合戦許りにては叶ふまじ。要害えうがいを構へて時々じじ馬の足を休め、つはものの機をたすけて、敵近付かば、懸け出で懸け出で可戦」とて、六波羅のたちを中に籠めて、河原面かはらおもて七八町しちはちちやうに堀を深く掘つて鴨川を懸け入れたれば、昆明池こんめいちの春の水西日せいじつしづめて、奫淪いんりんたるに不異。残り三方さんぱうには芝築地しばついぢを高くいて、やぐらを掻き並べ、逆茂木さかもぎしげく引いたれば、城塩州しろえんしう受降城じゆかうじやうもかくやと思へてをびたたし。まことに城の構へは、はかりごとあるに似たれども智は長ぜるにあらず。「剣閣雖高憑之者蹶。非所以深根固蔕也。洞庭雖浚負之者北。非所以愛人治国也」とかや。今すでに天下二つに分かれて、安危この一挙に懸けたる合戦なれば、かてを捨て舟をしづむるはかりごとをこそ致さるべきに、今日よりやがて後ろ足を踏んでわづかの小城に立て籠もらんと、兼ねて心を遣はれける、武略のほどこそ悲しけれ。




かねてより六波羅では議論あって、「この度諸方の敵が牒合(文書により意思疎通を図ること)し、大勢で寄せて来たからには、平場の合戦ばかりでは敵うまい。要害([攻防上で重要な地点])を構えて時々馬の足を休め、兵の気を養って、敵が近付けば、馳け出して戦うべし」と、六波羅の館を中にして、河原面七八町に堀を深く掘って鴨川の水を引きました、昆明池(漢武帝が、昆明池=中国雲南省昆明の南方にある湖。をまねて長安城の西に掘らせた池)の春水が沈む西日に染まり、波打つ様はまるで奫淪([水の逆巻く様])であるかのようでした。残り三方には芝築地([芝垣])を高く築いて、櫓を立て並べ、逆茂木を幾重にも敷いていました。城の構えは塩州(黄河に面する州)の受降城(漢武帝の時、匈奴の降服を受け入れるために塞外に築いた城塞)もこうであったかと思えるほど厳重でした。まこと城の構えは、謀を廻らしたように見えましたが知恵に長けてはいませんでした。「剣閣高しといえども頼む者があろうや。深根固柢([物事の基礎・根本をしっかり固め、ゆるがないようにすること])でないものを。洞庭([中国湖南省北東部にある淡水湖])深しといえども北方の敵を追い払うことができようか、人を愛し国を治めないものに」と申すとか。今すでに天下は二つに分かれて、安危をこの一挙([一回の行動])にかける合戦でしたので、粮([食料])を捨て舟を沈める策(背水の陣)に出るべきでしたが、今日より後ろ足([きびすを返して、逃げようとすること])を踏んでわずかの小城に立て籠もろうと、考える、武略の拙さこそ悲しむべきものでした。


続く


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by santalab | 2016-06-16 07:29 | 太平記 | Comments(0)

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