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「太平記」高氏被篭願書於篠村八幡宮事(その1)

さるほどに、明くれば五月七日の寅の刻に、足利治部ぢぶ大輔たいふ高氏朝臣、二万五千余騎を率して、篠村の宿を立ち給ふ。夜いまだ深かりければ、しづかに馬を打つて、東西を見給ふところに、篠村の宿の南に当たつて、陰森いんしんたる故柳疎槐こりうそくわいもとに社壇ありと思えて、焚きすさみたるにはびの影のほのかなるに、宜祢きねが袖振る鈴の音かすかに聞こへて神さびたり。いかなる社とは知らねども、戦場に赴く門出なればとて、馬より下りて兜を脱ぎて、叢祠ほこらの前にひざまつき、「今日の合戦無事故、朝敵を退治する擁護おうごの力を加へ給へ」と祈誓をこらしてぞおはしける。時にかへりまうししけるかんなぎに、「この社は如何なる神を崇め奉りたるぞ」と問ひ給ひければ、「これは中頃八幡はちまんを遷しまゐらせてよりこの方、篠村の新八幡とまうし候ふなり」とぞ答へ申しける。足利殿、「さては当家尊崇そんそうの霊神にておはしましけり。機感もつとも相応せり。よろしきに随つて一紙の願書ぐわんじよを奉らばや」とのたまひければ、疋壇妙玄ひきだのめうげん、鎧の引き合はせより矢立ての硯を取り出だして、筆を引き替へてこれを書く。




やがて、夜が明けると五月七日の寅の刻([午前四時頃])に、足利治部大輔高氏朝臣(足利高氏)は、二万五千余騎を率して、篠村宿(現京都府亀岡市)を立ちました。夜はまだ深く、ゆっくりと馬を進めて、東西を見れば、篠村の宿の南に、陰森故柳疎槐(『和漢朗詠集』)の下に社壇ありと思えて、焚き荒む([焚火が盛んに燃えること])燎([篝火])の影がほのかに見え、宜祢([神職。神主とはふりの間に位置した])が袖振る鈴の音がかすかに聞こえて神々しく思われました。いかなる社とは知りませんでしたが、戦場に赴く門出であると、(足利高氏は)馬より下りて兜を脱ぎ、祠の前にひざまずき、「今日の合戦無事に、朝敵を退治する擁護の力を加え給え」と祈誓を尽くしました。時に返り申し([使者が帰ってきて返事や報告をすること])の巫女に、「この社は如何なる神を崇めておるぞ」と訊ねると、「これは中頃八幡神を遷してよりこの方、篠村の新八幡と申しております」と答えました。足利殿は、「ならば当家尊崇の霊神であられる。機感([神仏が衆生の宗教的能力や心を感じとって、それに 適した行為をなすこと])が相応されたのであろう。よろしき([ある状況や程度にふさわしいこと])に随い一紙の願書を差し上げなくてはならぬ」と申せば、疋壇妙玄(疋田妙玄。足利高氏右筆=中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官)は、鎧の引き合わせ([鎧の胴に身体を入れるための切れ目])より矢立て([筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具])の硯を取り出すと、筆に持ち替えて願書を書きました。


続く


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by santalab | 2016-06-17 07:24 | 太平記 | Comments(0)

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