夜既に明けければ前陣進んで後陣を待つ。大将大江山の峠を打ち越え給ひける時、山鳩一番ひ飛び来たつて白旗の上に翩翻す。「これ八幡大菩薩の立ち翔けつて護らせ給ふ験なり。この鳩の飛び行かんずるに任せて可向」と、被下知ければ、旗差し馬を早めて、鳩の迹に付いて行くほどに、この鳩閑かに飛んで、大内の旧迹、神祇官の前なる樗の木にぞ留まりける。官軍この奇瑞に勇んで、内野を指して馳せ向かひける道すがら、敵五騎十騎旗を巻き兜を脱いで降参す。足利殿篠村を出で給ひし時は、僅かに二万余騎ありしが、右近の馬場を過ぎ給へば、その勢五万余騎に及べり。
夜はすでに明けて前陣が進んで後陣を待ちました。大将(足利高氏)が大江山(現京都府丹後半島の付け根に位置し京都府与謝郡与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山)の峠を打ち越えようとする時、山鳩が一番い飛び来て白旗の上を飛び回りました。「これは八幡大菩薩が翔け護られる験である。この鳩の飛び行くに任せて向かうべし」と、下知したので、旗差しは馬を早めて、鳩の後に付いて行くほどに、この鳩はゆっくり飛んで、大内の旧迹、神祇官の前の樗木([ニワウルシ])に留まりました。官軍はこの奇瑞に勇み、内野(大極殿)を指して馳せ向かう道中で、敵五騎十騎が旗を巻き兜を脱いで降参しました。足利殿が篠村(現京都府亀岡市)を出る時には、わずかに二万余騎でしたが、右近の馬場を過ぎれば、その勢は五万余騎に及びました。
(続く)