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「太平記」長年帰洛の事付内裏炎上の事(その1)

那和なわ伯耆はうきかみ長年ながとしは、勢多を固めて居たりけるが、山崎の陣破れて、主上早や東坂本へ落ちさせ給ひぬと聞こへければ、これすぐに坂本へ馳せまゐらんずる事は安けれども、今一度内裏へ馳せ参らですぐに落ち行かんずる事は、後難あるべしとて、その勢三百余騎にて、十日の暮れほどにまた京都へぞかへりける。今日は悪日とて将軍いまだ都へは入り給はざりけれども、四国・西国のつはものども、数万騎すまんぎ打ち入つて、京白川しらかはに満ち満ちたれば、帆掛舟ほかけぶね笠符かさじるしを見て、ここに横切りかしこにさへぎつて、打ち止めんとしけれども、長年ながとし懸け散らしてはとほり、打ち破つては囲みを出で、十七度じふしちどまで戦ひけるに、三百余騎の勢次第次第に討たれて、百騎ばかりに成りにけり。されども長年つひに討たれざれば、内裏の置ゑ石の辺にて、馬よりり兜を脱ぎ、南庭にひざまづく。




那和伯耆守長年(名和長年)は、勢多(現滋賀県大津市)を固めていましたが、山崎(現大阪府三島郡島本町)の陣が破れて、主上(第九十六代、南朝初代後醍醐天皇)はすでに東坂本(現滋賀県大津市)に落ちられたと聞こえたので、すぐさま坂本に馳せ参ることは容易いことでしたが、今一度も内裏に馳せ参らずにすぐに落ちれば、後難あることであろうと、その勢三百余騎で、十日の暮れほどに京都に帰りました。今日は悪日と申して将軍(室町幕府初代将軍、足利尊氏)はまだ都には入っていませんでしたが、四国・西国の兵ども、数万騎がすでに打ち入って、京白川に充満していました、帆掛船の笠符(名和氏の家紋)を見て、ここに横切りかしこに遮って、討ち止めようとしましたが、長年は駆け散らして通り、打ち破っては囲みを出て、十七度まで戦ううちに、三百余騎の勢は次第次第に討たれて、百騎ばかりになりました。けれども長年は討たれることなく、内裏の据え石([庭石])のあたりで、馬から下りると兜を脱ぎ、南庭にひざまずきました。


続く


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by santalab | 2016-06-21 12:47 | 太平記 | Comments(0)

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