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「太平記」園城寺戒壇事(その2)

そもそも園城寺の三摩耶戒壇さまやかいだんの事は、前々せんぜんすでに公家尊崇そんそうの儀を以つて、勅裁を被成、また関東くわんとう贔負の威を添へて取り立てしかども、山門嗷訴がうそしいままにして猛威を振るふ間、干戈かんくわこれより動き、回禄くわいろく度々に及べり。その故をいかにとたづぬるに、かの寺の開山高祖かいさんかうそ智証ちしよう大師だいしまうし奉るは、そのかみ叡山えいさん伝教でんげう大師の御弟子にて、顕密両宗けんみつりやうしゆう碩徳せきとく、智行兼備の権者ごんじやにてぞおはしましける。しかるに伝教大師御入滅にふめつの後、智証大師の御弟子と、慈覚じかく大師の御弟子と、いささか法論の事あつて、たちまちに確執に及びける間、智証大師の門徒修禅もんとしゆぜん三百ばう引いて、三井寺に移る。時に教待和尚けうたいくわしやう百六十年行うて祈り出だし給ひし生身しやうじんの弥勒菩薩を智証大師に付属し給へり。大師これを受けて、三密瑜伽さんみつゆかの道場を構へ、一代説教の法席ほつせきべ給ひけり。




そもそも園城寺(現滋賀県大津市にある寺院)の三摩耶戒壇([天台宗に入門した者に円頓戒を授ける式場])のことは、前々よりすでに公家尊崇の儀をもって、勅裁([天子による裁決])をなし、また関東贔負の威を添えて取り立てましたが、山門(比叡山)は嗷訴([平安時代中期より室町時代 に至るまで、中央・地方の大寺社の衆徒・神人じにんが、宗教的権威を背景に徒党を組み朝廷や幕府に様々な要求を強要した行動])を欲しいままにして猛威を振るったので、干戈([戦])はこれより起こり、回禄([火災])は度々に及びました。その訳を尋ねれば、園城寺の開山高祖智証大師(円珍)と申すのは、その昔叡山伝教大師(最澄)の弟子で、顕密両宗の碩徳([高徳の僧])、智行兼備の権者([神仏などが衆生を救うためにこの世に仮に人の姿となって現れたもの])でした。けれども伝教大師入滅の後、智証大師の弟子と、慈覚大師(円仁)の弟子との間に、いささか法論が起こって、たちまちに確執に及んだので、智証大師(円珍)の門徒修禅([座禅や観法を修めること])は三百房を退いて、三井寺に移りました。この時教待和尚(園城寺に久しく住み、円珍を待ち受け、寺の再興を委嘱するとたちまち姿を消したらしい。この時、百六十二歳だったとか)が百六十年勤め祈っていた生身([仏の化身])の弥勒菩薩(園城寺の本尊。秘仏。第四十代天武天皇から賜ったものらしい)を智証大師に付属しました。智証大師はこれを譲り受けて、三密瑜伽([行者の三密=手に印を結ぶ身密・口に真言を唱える口密 くみつ・心に本尊を観念する意密。と仏の三密とが相応・融合すること])の道場を構え、一代説教([釈迦が悟りを開いてから入滅するまでの間に説いたあらゆる教え])の法席([禅僧が修行僧を指導育成する場])としました。


続く


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by santalab | 2016-06-22 08:09 | 太平記 | Comments(0)

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