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「太平記」主上都落の事付勅使河原自害の事(その1)

山崎・大渡おほわたりの陣破れぬと聞こへければ、京中きやうぢゆう貴賎上下きせんじやうげ、俄かに出で来たる事のやうに、あわてふためきたふれ迷ひて、車馬東西に馳せ違ふ。蔵物ざうもつ・財宝を上下かみしもへ持ち運ぶ。義貞・義助未だ馳せまゐらざるさきに、主上しゆしやうは山門へ落ちさせ給はんとて、三種さんじゆの神器を玉体ぎよくたいに添へて、鳳輦ほうれんに召されたれども、駕輿丁かよちやう一人もなかりければ、四門しもんを堅めて候ふ武士ども、鎧着ながら徒立かちだちに成つて、御輿みこしの前後をぞ仕りける。吉田の内大臣定房さだふさ公、車を飛ばせて参ぜられたりけるが、御所中を走りまはつて見給ふに、よく近侍の人々もあわてたりけりと思えて、明星みやうじやう・日の札、二間の御本尊まで、皆捨て置かれたり。内府だいふしづかに青侍あをさぶらひどもに執り持たせて参ぜられけるが、いかんかして見落とし給ひけん、玄象げんじやう牧馬ぼくば・達磨の御袈裟・毘須羯摩びしゆかつまが作りし五大尊、取り落とされけるこそ浅ましけれ。




山崎(現大阪府三島郡島本町)・大渡(現京都府八幡市)の陣に破れたと聞いて、京中の貴賎上下の者は、にわかに起こった軍の様に、あわてふためき倒れ迷い、車馬は東西に馳せ違いました。蔵物・財宝を上下(南北)に運ぶためでした。義貞(新田義貞)・義助(脇屋義助。新田義貞の弟)がまだ馳せ参らぬ前に、主上(第九十六代後醍醐天皇)は山門(比叡山)に落ちようと、三種の神器を玉体に添えて、鳳輦([屋根に鳳凰の飾りのある天子の車])に召されましたが、駕輿丁([左右の近衛、兵衛府に属して輿 を担いだ人足])は一人もいませんでしたので、四門を固めて堅めていた武士どもが、鎧を着ながら徒立ちになって、輿の前後に付きました。吉田内大臣定房公(吉田定房)は、車を飛ばせて参りましたが、御所中を走り廻って見ると、近侍の人々もよほどあわてたと思えて、明星(明星天の札か?)・日の札(日天の札?)、二間([清涼殿の、夜の御殿おとどの東、弘徽殿の上の局の南にある部屋])の本尊まで、皆捨て置かれていました。内府(吉田定房)は落ち着いて青侍どもに取り持たせて参りましたが、どうして見落としたのか、玄象(琵琶の名器)・牧馬(琵琶の名器)・達磨(五世紀後半から六世紀前半の人。中国禅の開祖)の袈裟・毘須羯摩(帝釈天の臣下らしい)が作った五大尊を、取り落としたのは残念なことでした。


続く


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by santalab | 2016-06-24 08:21 | 太平記 | Comments(0)

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