この告文を被篭て、七日に当たりける夜、主上不思議の御夢想ありけり。無動寺の慶命僧正、一紙の消息を参らせていはく、
自胎内之昔、至治天之今、忝雖奉祈請宝祚長久、三井寺戒壇院若被宣下者、可失本懐。
云云。またその次の夜の御夢にかの
慶命僧正参内して
紫宸殿に立たれたりけるが、大きに怒れる気色にて、「昨日一紙の状を雖進覧、叡慮更に不驚給、所詮三井寺の戒壇有勅許者、変年来之御祈、たちまちに可成怨心」とのたまふ。
この告文を籠めて、七日に当たる夜、主上に不思議の夢想がありました。無動寺(現滋賀県大津市にある寺院。延暦寺東塔の一)の慶命僧正が、一紙の消息([文])を参らせて申すには、
(第六十九代後朱雀天皇が)胎内の昔より、治天の今に至るまで、宝祚([天子の位])長久の祈請に勤めて参りましたが、もし三井寺戒壇院の宣下をなされるのでしたら、その本懐を失いましょう。
と。またその次の夜の夢にかの慶命僧正が参内して紫宸殿([平安京内裏 の正殿])に立っていましたが、たいそう怒った顔で、「昨日一紙の状を進覧しましたが、叡慮を驚かすに至らず、ならば三井寺(現滋賀県大津市にある園城寺)の戒壇に勅許の者を、年来の祈りに変えて、たちまちに怨心となすべし」と申しました。
(続く)