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「太平記」主上都落の事付勅使河原自害の事(その2)

公卿くぎやう殿上人てんしやうびと三四人さんしにんこそ、衣冠いくわん正くして供奉せられたりけれ、その外の衛府ゑふの官は、皆甲冑かつちうを着し、弓箭きゆうせんを帯して、翠花すゐくわの前後に打ち囲む。この二三年の間天下わづかに一統にして、朝恩に誇りし月卿雲客げつけいうんかく、指したる事もなきに、武具をたしなみ弓馬を好みて、朝義てうぎ道にたがひ、礼法のりに背きしも、早や懸かる不思議出で来たるべき前表ぜんべうなりと、今こそ思ひ知られたれ。新田左兵衛さひやうゑかみ・脇屋右衛門うゑもんすけ・並びに江田・大館おほたち・堀口美濃のかみ・里見・大井田おゐた・田中・篭沢こざは以下いげの一族三十さんじふ余人・千葉の介・宇都宮美濃の将監しやうげん・仁科・高梨・菊池以下の外様の大名八十余人、その勢わづかに二万余騎、鳳輦ほうれんの跡を守禦しゆぎよして、皆東坂本へと馬を早む。事の騒しかりし有様ただ安禄山が潼関とうくわんの軍に、官軍くわんぐん忽ちに打ち負けて、玄宗皇帝くわうていみづから蜀の国へ落ちさせ給ひしに、六軍翠花すゐくわに随つて、剣閣の雲に迷ひしに異ならず。




公卿・殿上人三四人ばかりは、衣冠を正くして(第九十六代後醍醐天皇に)供奉しましたが、そのほかの衛府の官は、皆甲冑を着し、弓箭([弓矢])を帯して、翠花([天子の旗])の前後を打ち囲みました。この二三年の間天下は一統し、朝恩に誇る月卿雲客([公卿・殿上人])は、軍もないのに、武具に親しみ弓馬を好んで、朝義の道に違い、礼法則([法])に背いたのも、すでにこのような不思議が起こる前表([前兆])であったかと、今こそ思い知られるのでした。新田左兵衛督(新田義貞)・脇屋右衛門佐(脇屋義助よしすけ。新田義貞の弟)・並びに江田(江田行義ゆきよし)・大館(大舘宗氏むねうぢ)・堀口美濃守(堀口貞満さだみつ)・里見・大井田・田中・篭沢以下の一族三十余人・千葉介(千葉貞胤さだたね)・宇都宮美濃将監(宇都宮泰藤やすふぢ)・仁科・高梨・菊池以下の外様の大名八十余人、その勢わずかに二万余騎が、鳳輦([屋形の上に金銅の鳳凰を飾った輿 。天皇の晴れの儀式の行幸用のもの])の後を守禦([守護])して、皆東坂本(現滋賀県大津市)へと馬を早めました。事騒しい有様はただ安禄山(唐の第九代玄宗に対し安禄山の乱=安史の乱。を起こし、大燕皇帝に即位した)が起こした潼関(陝西省渭南いなん市)の軍に、官軍はたちまちに打ち負けて、玄宗皇帝が蜀国へ落ちた時、六軍([天子の軍隊])が翠花([天子の旗])に従って、剣閣の雲に迷ったのに同じでした。


続く


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by santalab | 2016-06-26 09:00 | 太平記 | Comments(0)

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