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「太平記」持明院殿吉野遷幸事付梶井宮事(その1)

さるほどに敵は都を落ちたれども、吉野の帝は洛中へ臨幸もならず、ただ北畠入道准后じゆごう顕能あきよしきやう父子ばかり京都におはして、諸事の成敗を司り給ひて、その外の月卿げつけい雲客うんかくは、皆主上しゆしやう御坐おましに付いて、八幡やはたにぞ伺候し給ひける。同じき二十三にじふさん日、中院なかのゐん中将ちゆうじやう具忠ともただを勅使にて、都の内裏におはします三種さんじゆ神器しんぎを吉野の主上しゆしやうへ渡し奉る。これは先帝山門より武家へ御出でしありし時、ありもあらぬ物を取り替へて、持明院殿ぢみやうゐんどのへ渡されたりし物なればとて、しるし御箱みはこをば被棄、宝剣と内侍所ないしところとをば、近習きんじゆの雲客に下されて、衛府ゑふの太刀・装束しやうぞくの鏡にぞなされける。げにもまことの三種の神器にてはなけれども、すでに三度大嘗会じやうゑに逢ひて、毎日の御神拝ごじんぱい清署堂せいしよだう御神楽みかぐら二十にじふ余年になりぬれば、神霊もなどかなかるべきに、あまりに恐れなく凡俗ぼんぞくの器物になされぬる事、いかがあるべからんと、申すやからも多かりけり。




やがて敵は都を落ちましたが、吉野帝(第九十七代後村上天皇)は洛中へ臨幸もならず、ただ北畠入道准后(北畠親房ちかふさ)・顕能卿(北畠親房の三男)父子ばかり京都におられて、諸事の成敗を司り、そのほかの月卿雲客([公卿と殿上人])は、皆主上(北朝第三代崇光天皇)の御座所に付いて、八幡(現京都府八幡市にある石清水八幡宮)に伺候していました。同じ(正平七年(1352)潤二月)二十三日に、中院中将具忠(中院具忠)を勅使に立てて、都の内裏に安置している三種の神器を吉野の主上の許へ移されました。これは先帝(第九十六代後醍醐天皇)が山門(延暦寺)より武家の許にお出でになられた時、別の物と取り替えて、持明院殿(現京都市上京区にあった持明院統の里内裏)に渡された物でしたので、璽の御筥([八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを納める箱])を捨て、宝剣([草薙剣くさなぎのつるぎ])と内侍所([八咫鏡 やたのかがみ])は、近習の雲客に下されて、衛府の太刀・装束の鏡となりました。まことの三種の神器ではありませんでしたが、すでに三度(北朝初代光厳天皇・第二代光明天皇・崇光天皇)大嘗会を行い、毎日の御神拝・清署堂([平安京大内裏豊楽院ぶらくいん内の殿舎])の御神楽も、二十余年になれば、神霊があるはずもありませんでしたが、あまりに恐れなく凡俗の器物になされること、どうなることかと、申す者も多くいました。


続く


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by santalab | 2016-06-25 13:13 | 太平記 | Comments(0)

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