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「太平記」持明院殿吉野遷幸事付梶井宮事(その3)

やや暫くあつて、新院泪を抑へて被仰けるは、「天下乱に向かふ後、僅かに帝位を雖践、叡慮より起こりたる事に非ざれば一事も世のまつりことを御心に不任。北辰ほくしん光消えて、中夏ちゆうか道闇き時なれば、共に椿嶺ちんれいの陰にも寄り、遠く花山くわざんの跡をも追はばやとこそ思し召しつれども、それも叶はぬ折節の憂さあに叡察なからんや。今天運膺図に万人望みを達する時至れり。乾臨けんりん曲げて恩免をかふむらば、すみやかに釈門の徒と成つて、辺鄙に幽居いうきよを占めんと思ふ。この一事つぶさに可有奏達」と被仰出けれども、顕能あきよし再往さいわうの勅答に不及、「すでに綸命を蒙る上は、押さへてはいかが奏聞を経候ふべき」とて、御車を二両差し寄せ、「余りに時刻移り候ふ」と急げば、本院ほんゐん・新院・主上しゆしやう・東宮、御同車あつて、南の門より出御なる。さらでだに霞める花のの間の月、これや限りの御泪に、常よりもなほ朧ろなり。女院・皇后は、御簾の内、几帳きちやうの陰に臥ししづませ給へば、この馬道めだう、かしこの局には、声も包まず泣き悲しむ。




ややしばらくあって、新院(北朝第二代光明院)が涙を抑えて申すには、「天下が乱れた後、わずかに帝位を踏むといえども、叡慮より起こったことでなければ一事も世の政を心に任せられず。北辰([北極星])の光は消えて、中夏([夏の半ば])の道暗き時節なれば、ともに椿嶺([中国の伝説で、仙人が住むという想像上の山 ])の陰にも寄り、遠く花山(第六十五代天皇)の跡を追いたいと思っていたが、それも叶はぬ折節の悲しみどうして叡察([天子や上皇のお察し])がなかろうか。今に天運は思い通りとなり万人の望みを達する時が訪れるであろう。乾臨([天子の行う裁決・処置])を曲げて恩免を蒙ったならば、すみやかに釈門の徒となって、辺鄙に幽居を占めようと思うておる。この事を余さず奏達せよ」と申されましたが、顕能(北畠顕能)は勅答に及ばず、「すでに綸命([天子や天皇の命令])を蒙られた上は、重ねて奏聞には及ばれないでしょう」と申して、車を二両差し寄せ、「あまりに時刻が過ぎましたので」と急げば、本院(北朝初代光厳院)・新院(光明院)・主上(北朝第三代崇光天皇)・東宮(第九十五代花園天皇の皇子、直仁なほとし親王)は、同車されて、南門よりお出になられました。そうでなくとも霞める花の木の間の月が、これを限りの涙に、いつにもまして朧ろに見えました。女院(第九十三代後伏見天皇の女御で光厳天皇・光明天皇の実母、西園寺寧子やすこ。広義門院)・皇后(光厳天皇の典侍で崇光天皇・北朝第四代後光厳天皇の生母、正親町三条秀子おほぎまちさんでうひでこ?)は、御簾の内、几帳の陰に臥し沈まれて、この馬道、かしこの局では、声も包まず泣き悲しむ声が聞こえました。


続く


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by santalab | 2016-06-25 14:54 | 太平記 | Comments(0)

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