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「太平記」持明院殿吉野遷幸事付梶井宮事(その5)

この辺の民どもが我が君とてあふぎ奉る吉野の帝の皇居くわうきよだにも、黒木の柱、竹椽たけたるき、囲ふ垣穂のしばしだにもまれぬべくもなき宿りなり。いはんや敵の為に被囚、配所の如くなる御栖居すまゐなれば、年経てくづれける庵室あんじつの、軒を受けたる杉の板屋の、目も合はぬ夜のさびしさを事問ふ雨の音までも御袖を湿らす便りなり。衆籟しゆらい暁寒うして月庭前の松に懸かり、群猿ぐんえん暮れに叫んで風洞庭とうていの雲を送る。外にて聞きし住み憂さは数にもあらぬ深山みやまかなと、主上しゆしやう・上皇いつとなく被仰出度毎に御泪のかはく隙もなし。




このあたりの民どもが和が君と仰ぐ吉野帝(第九十七代後村上天皇)の皇居でさえ、黒木([皮つきの丸太で造ったもの])の柱、竹椽([竹で作った垂木。茅葺きの屋根などに用いる])、囲う垣穂([垣根])はしばしも住めるような宿ではありませんでした。言うまでもなく敵に捕らわれ、まるで配所のような住まいでした、年を経て崩れた庵室の、軒を借りた杉の板屋は、目も合わぬ([よく眠れない意])夜の寂しさを訊ね聞く雨の音までもが袖を濡らす便りでした。衆籟([風が木々などにあたって発する音。風の音])のする寒い暁には月が庭前の松に懸かり、群猿が暮れに鳴き叫んで風は洞庭の雲を吹かせました。余所で聞いた住み憂さは数にも入らぬ深山かと、主上(北朝第三代崇光天皇)・上皇(北朝初代光厳院、第二代光明院)はいつとなく申しては涙が乾く隙もありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-06-25 16:30 | 太平記 | Comments(0)

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