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「太平記」持明院殿吉野遷幸事付梶井宮事(その6)

梶井かぢゐ二品にほん親王しんわうはこの時天台の座主にておはしけるが、同じく被召捕させ給て、金剛山こんがうせんの麓にぞおはしける。この宮は本院ほんゐんの御おとと慈覚じかく大師の嫡流ちやくりうにて、三度天台の座主に成らせ給ひしかば、門迹もんぜき富貴ふつき無双、御門徒の群集くんじゆ如雲。師子・田楽を被召、日夜に舞ひ歌はせ、茶飲み、連歌士れんがしを集めて、朝夕遊び興ぜさせ給ひしかば、世のそしり山門の訟へは止む時なかりしかども、御心の中の楽しみはたぐひ非じと見へたりしに、今引き替へたる配所の如くなる御棲居すまゐ、山深く里遠くして鳥の声だにもかすかなるに、御力者りきしや一人より外は被召仕る人もなし。隙あらはなる柴のいほに袖を片敷く苔筵こけむしろ、露は枕に結べども、都に帰る夢はなしと、御心をいたましめ給ふに就けても、仏種は従縁起こる事なれば、よしや世の中かくてもつひに果てなば三千の貫頂くわんちやうの名を捨ててひたすら桑門さうもんかくと成らんと思し召しけるこそ哀れなれ。天下もし皇統に定まつて世もしづかならば、御遁世の御あらましもすゑとほりぬべし。もしまた武家強うて南方の官軍くわんぐん打ち負けば、失ひ奉る事もいかさまありぬべしと思し召し続くる時にこそ、さしも浮世をこのままにて、やがてもさらば静まれかしと、かへつて御祈念も深かりけり。




梶井二品親王(第九十三代後伏見天皇の第六皇子、承胤しよういん法親王)はこの時天台座主でしたが、同じく召し捕われて、金剛山の麓におられました。この宮は本院(北朝初代光厳院)のご兄弟(兄)であり、慈覚大師(円仁ゑんにん)の嫡流として、三度天台座主になられました、門跡の富貴は並びなく、門徒が雲の如く群集しました。師子(獅子舞)・田楽([平安時代中期に成立した日本の伝統芸能])を好み、日夜に舞い歌い、茶を飲み、連歌師を集めて、朝夕遊びに興じて、世の謗り山門の訟えは止むことがありませんでした、心の内の楽しみは並ぶ者なしと思われましたのに、今は引き替えて配所のような暮らしぶりでした、山深く里は遠くして鳥の声さえも幽かな所に、力者([平安末期以後、髪をそった姿をし、院・門跡・寺院・公家・武家などに仕えて力仕事に携わった従者])一人のほかは召し仕える人もいませんでした。隙あれば柴の庵に袖を片敷く苔筵([旅人や隠棲者のわびしい寝床])、露は枕に結ぶとも、都に帰る夢はないと、心を傷めるにつけても、仏種([仏果を生じるもととなるもの])は従縁の元となることでしたので、たとえ世の中はこのままに果てるのならば三千の貫頂(天台座主)の名を捨ててひたすら桑門([出家して修行する人。沙門])の客となろうと思われることこそ哀れなことでした。天下がもし皇統に定まり世が鎮まれば、遁世の願いも叶うであろう。もしまた武家強くして南方(南朝)の官軍が打ち負ければ、命を失うこともあろうと思い続けては、できれば浮世に永らえて、やがて世の中も鎮まれと、かえって祈念は深いものでした。

続く


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by santalab | 2016-06-25 16:34 | 太平記 | Comments(0)

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