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「太平記」園城寺戒壇事(その7)

頼豪らいがうこれを怒つて、百日の間髪をも不剃爪をも不切、炉壇ろだんの烟にふすぼり、嗔恚しんいほのほに骨を焦がして、我願はくは即身に大魔縁だいまえんとなつて、玉体を悩まし奉り、山門の仏法を滅ぼさんと言ふ悪念を起こして、つひ三七日さんしちにちが中に壇上だんじやうにして死にけり。その怨霊をんりやう果たして邪毒をなしければ、頼豪が祈り出だし奉りし皇子、いまだ母后ぼこうの御膝の上を離れさせ給はで、たちまちに御隠れありけり。叡襟えいきんこれに依つて不堪、山門の嗷訴がうそ園城をんじやう効験かうげん、得失はなはだしき事隠れなかりければ、かつうは山門の恥をすすぎ、または継体けいたいひつぎまつたうせん為に、延暦寺えんりやくじ座主ざす良信りやうしん大僧正だいそうじやうまうしやうじて、皇子御誕生の御祈りをぞ致されける。先づ御修法みしほの間種々の奇瑞きずゐありて、承暦しやうりやく三年七月九日皇子御誕生あり。山門の護持隙なかりければ、頼豪が怨霊をんりやうも近付き奉らざりけるにや、この宮つひに玉体無恙して、天子の位を践ませ給ふ。御在位ざいゐの後院号ゐんがうあつて、堀河ほりかはゐんと申ししは、すなはちこの第二の宮の御事なり。




頼豪(平安時代中期の天台宗の僧)はこれに怒って、百日間髪も剃らず爪も切りませんでした、ただ炉壇([護摩壇])の煙にすすけ、嗔恚([怒り・恨み])の炎に骨を焦がして、願わくは即身に大魔縁(第六天魔王波旬はじゆん=悪魔)となって、玉体を悩ませ、山門(延暦寺)の仏法を滅ぼす悪念を起こして、遂に三七日(二十一日)の間に壇上で死にました。その怨霊が邪毒となって、頼豪が祈った皇子(第七十二代白河天皇の第一皇子、敦文あつふみ親王)は、いまだ母后(藤原賢子かたいこ)の膝の上を離れないほどに、たちまちにお隠れになりました。叡襟([天子の胸の内])やるせなく、山門の嗷訴([僧兵・神人 (じにん) ら が仏神の権威を誇示し、集団で朝廷・幕府に対して訴えや要求をすること])、園城(現滋賀県大津市にある園城寺)の効験は、いずれ劣らず尋常でないことは明らかでした、山門の恥を雪ぎ、または継体の儲け([儲けの君]=[皇太子])を全うするために、延暦寺の座主良信大僧正を請じて、皇子誕生の祈りを致しました。御修法([密教の法会])の間種々の奇瑞があり、承暦三年(1079)七月九日に皇子(白河天皇の第三皇子、善仁たるひと親王)が誕生されました。山門の護持は隙もなく、頼豪の怨霊も近付くことができなかったか、この宮は遂に玉体つつがなく、天子の位を践まれました。在位の後院号が下されて、堀河院(第七十三代天皇)と申されましたのは、この第二の宮(第三皇子。ちなみに第二皇子は、典侍藤原経子つねこの子、覚行かくぎやう法親王)のことです。


続く


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by santalab | 2016-06-27 08:41 | 太平記 | Comments(0)

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