Santa Lab's Blog


「太平記」将軍御進発大渡・山崎等合戦の事(その1)

去るほどにあらたまの年立ちかへれども、内裏には朝拝てうはいもなし。節会せちゑも行はれず。京白川きようしらかはには、家をこぼちて堀に入れ、財宝を積んで持ち運ぶ。ただ何と云ふ沙汰もなく、物騒がしく見へたりける。懸かるほどに、将軍已に、八十万騎はちじふまんぎにて、美濃・尾張をはりへ着き給ひぬと云ふほどこそあれ、四国の御敵も近付きぬ、山陰せんおん道の朝敵も、只今大江山おいのやまへ取り上がるなんど聞こへしかば、この間召しに応じて上ぼり集まつたる国々の軍勢ども十方へ落ち行きけるほどに、洛中には残り止まる勢一万騎いちまんぎまでもあらじとぞ見へたりける。それも皆勇める気色もなくて、いづ方へ向かへと下知げぢせられけれども、耳にも聞き入れざりければ、軍勢の心を勇ません為に、「今度の合戦に於いて忠あらん者には、不日に恩賞おんしやう行はるべし」とし壁書へきしよを、決断所に押されたり。これを見て、その事書きの奥に例の落書をぞしたりける。

かくばかり たらさせ給ふ 綸言の 汗の如くに などなかるらん




さるほどに新玉の年が改まりました(建武三年(1336))が、内裏では朝拝([正月一日に天皇が大極殿に出て、諸臣の年賀を受けた儀式])もありませんでした。節会(元日節会)も行われませんでした。京白川では、家を壊して堀に投げ入れ、財宝を積んで持ち運びました。何の知らせもありませんでしたが、物騒がしく見えました。そうこうするところに、将軍(足利尊氏)はすでに、八十万騎で、美濃・尾張に着いたと聞くほどに、四国の敵も近付き、山陰道の朝敵も、すでに大江山(現京都府与謝郡与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山)に取り上がったなどと聞こえたので、この間召しに応じて上ぼり集まった国々の軍勢どもは十方へ落ち行き、洛中には残り止まる勢は一万騎もいないように思われました。それさえも皆勇める気色もなくて、どちらに向かえと命じられても、耳にも聞き入れなかったので、軍勢の心を勇ませるために、「今度の合戦に於いて忠ある者には、日を置かず恩賞を行うべし」との壁書([命令・布告また掟などを板や紙に書いて壁に貼り付けた掲示])を、決断所([建武新政権が1333年に設置した訴訟処理機関])に張り出されました。これを見て、その事書きの奥にいつものように落書がなされました。

これほどまでに申される綸言なれば、汗の如くの言葉通り取り消されることはないであろうが、汗とともに流れてしまうかも知れぬぞ。


続く


[PR]
by santalab | 2016-06-27 08:48 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」園城寺戒壇事(その8)      「太平記」園城寺戒壇事(その7) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧