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「太平記」奥州勢着坂本事(その1)

去年十一月に、義貞よしさだ朝臣討つ手の大将をうけたまはつて、関東くわんとうへ下向される時、奥州の国司北畠の中納言顕家あきいへきやうの方へ、合図あひづの時をたがへず攻め合ふべき由綸旨りんしを下されたりけるが、大軍を起こす事容易くなき間、とかう延引す。あまつさへ路すがらのいくさ日数ひかずを送りける間、心ばかりは急がれけれども、ここかしこの逗留とうりうに依つて、箱根の合戦にははづれ給ひにけり。されども幾程もなく、鎌倉に打ち入り給ひたれば、将軍は早や箱根・竹下たけのしたの戦に打ち勝つて、やがて上洛しやうらくし給ひぬとまうしければ、さらば後より追つてこそ上らめとて、夜を日に継いでぞ上洛しやうらくせられける。去るほどに越後・上野かうづけ・常陸・下野しもつけに残りたる新田につたの一族、ならびに千葉・宇都宮が手勢ども、これを聞き伝へてここかしこより馳せくははりける間、その勢なきほどに五万余騎になりにけり。




去年十一月に、義貞朝臣(新田義貞=源義貞)は討手の大将を承って、関東へ向かう時、奥州国司北畠中納言顕家卿(北畠顕家)の方へ、合図の時を違えず攻め合わせとの綸旨([天子などの命令])を下しましたが、大戦を起こすことは容易いことではなく、何かにつけ延引しました。その上道中での軍に日数を送ったので、心ばかりは急ぎましたが、あちらこちらで停滞したので、箱根の合戦には間に合いませんでした(史実は新田義貞方の進攻が早すぎたらしい)。けれどもまもなく、鎌倉に討ち入ると、将軍(室町幕府初代将軍足利尊氏たかうぢ)はすでに箱根(現神奈川県足柄下郡箱根町)・竹下(現静岡県駿東郡小山町)の戦に打ち勝って(史実では新田義貞が戦い打ち負けたらしい)、すぐに上洛したと申したので、ならば後を追って京に上ろうと、夜を日に継いで上洛しました。やがて越後(現新潟県)・上野(現群馬県)・常陸(現茨城県北東部)・(現栃木県)下野に残っていた新田一族、ならびに千葉・宇都宮の手勢たちが、これを伝え聞いてあちこちより馳せ加わったので、その勢はあっという魔に五万騎余りになりました。


続く


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by santalab | 2016-06-29 06:45 | 太平記 | Comments(0)

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