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「太平記」将軍御進発大渡・山崎等合戦の事(その3)

宝寺より川端かはばたまで屏を塗り堀を掘りて、高櫓・出櫓だしやぐら三百余箇所に舁き双べたり。陣の構へなにとなく由々しげには見へたれども、俄かにこしらへたる事なれば屏の土も未だ干ず、堀も浅し。また防ぐべきつはものも、京家きやうけの人、僧正そうじやうの御房の手の者などとがうする者ども多ければ、この陣の軍はかばかしからじとぞ見へたりける。大渡おほわたりには、新田左兵衛さひやうゑかみ義貞を惣大将そうだいしやうとして、里見・鳥山・山名・桃井もものゐ額田ぬかだ・田中・篭沢こざは・千葉・宇都宮・菊池・結城ゆふき・池・風間かさま小国をくに河内かはちつはものども一万余騎にて堅めたり。これも橋板三間まばらに引き落として、半ばより東に掻楯かいだてを舁き、櫓を舁きて、川を渡す敵あらば、横矢に射、橋桁を渡る者あらば、走りを以つて推し落とすやうにぞ構へたる。馬の懸け上がりへ逆茂木ひしと引き懸けて、後ろに究竟くつきやうつはものども、馬を引き立て引き立て並居なみゐたれば、如何なる生食いけずき摺墨するすみに乗るとも、ここを渡すべしとは見へざりけり。




宝寺(現京都府乙訓郡大山崎町にある宝積寺)より川端まで屏を塗り堀を掘って、高櫓・出櫓([移動式の櫓])を三百余箇所に舁き並べていました。陣の構えはどことなく厳しく見えましたが、俄かに拵えたものでしたので屏の土も乾かず、堀も浅いものでした。また防ぐ兵も、京家の人、僧正の御房の手の者などと呼ばれる者どもが多くいましたので、この陣の軍は大したものではないと思われました。大渡(現京都府八幡市)には、新田左兵衛督義貞(新田義貞)を総大将として、里見・鳥山・山名・桃井・額田・田中・篭沢・千葉・宇都宮・菊池・結城・池・風間・小国・河内の兵どもが一万余騎で固めました。ここも橋板を三間まばらに引き落として、半ばより東に掻楯([垣根のように楯を立て並べること])を舁き、櫓を立て並べて、川を渡す敵あらば、横矢に射、橋桁を渡る者あらば、走り懸けて押し落とす構えでした。馬の駆け上がりには逆茂木をびっしりと並べて、後ろには究竟の兵どもが、馬を引き立て引き立て並んでいましたので、如何なる生食(源頼朝に献上された名馬であり、宇治川の戦いで佐々木高綱たかつなに与えられた)・摺墨(同じく梶原景季かげすゑに与えられた名馬)に乗ろうとも、ここを渡れるとは思われませんでした。


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by santalab | 2016-06-29 06:51 | 太平記 | Comments(0)

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