Santa Lab's Blog


「太平記」将軍御兄弟和睦事付天狗勢汰事(その1)

心ざしがつする時は胡越こゑつも不隔地。いわんや同じく父母の出懐抱浮沈をともにし、一日も不離咫尺しせき連枝れんし兄弟の御中なり。一旦師直もろなほ師泰もろやすらが、不義を罰するまでにてこそあれ、何事にか骨肉を離るる心可有とて、将軍と高倉殿と御合体がつていありければ、将軍は播磨より上洛しやうらくし、宰相さいしやう中将ちゆうじやう義詮よしのりは丹波の石龕いはやより上洛し、錦小路殿にしきのこうぢどのは八幡より入洛し給ふ。三人やがて会合くわいがふし給ひて、一献の礼ありけれども、この間の確執さすが片腹痛き心地して、互ひの言葉少なく無興気ぶきようげにてぞ被帰ける。高倉殿は元来ぐわんらい仁者じんしやかうを借つて、世のそしりを憚る人なりければ、いつしかやがて天下のまつりことを執つて、を可振その機を出されねども、世の人重んじ仰ぎ奉る事、日来に勝れて、その被官ひくわんやから、触れ事に気色は不増云ふ事なし。車馬門前に立ち連なつて出入側身を、賓客ひんかく堂上だうじやう群集くんじゆして、揖譲いふじやうの礼を慎めり。




心ざしが一致する時は胡越([北方の胡の国と南方の越の国。 互いに遠く離れていること、また、疎遠であることをたとえていう語])も地を隔てず。言うまでもなく同じ父母に生まれ育ち浮沈をともにし、一日も咫尺([距離が非常に近いこと])を離れず、(足利尊氏と足利直義ただよしは)連枝兄弟の仲でした。一度は師直(高師直)・師泰(高師泰)らの、不義を罰するために南朝に下ったにせよ、どうして骨肉と離れることがあろうかと、将軍(足利尊氏)と高倉殿(足利直義)は再び一つになりました、将軍は播磨より上洛し、宰相中将義詮(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)は丹波の石龕(現兵庫県丹波市にある石龕せきがん寺)より上洛し、錦小路殿(足利直義)は八幡(現京都府八幡市にある石清水八幡宮)より入洛しました。三人はやがて会合して、一献の礼がありましたが、この間の確執はさすが傍ら痛い([気がひける])心地がして、互いに言葉少なく白けたまま帰りました。高倉殿(足利直義)は元来仁者([情け深い人])の行ないに従い、世の譏りを憚る人でしたので、いつしかやがて天下の政を執って、威るうつもりはありませんでしたが、世の人の重んじ仰ぐこと、日来にまさり、被官の族は、事に触れ待望するようになりました。車馬が門前に立ち連なって出入りする時には側に、賓客([来訪者])が堂上に群集して、揖譲([うやうやしく拱手きようしゆ=中国における敬礼の仕方。両手を胸の前で組み合わせること。の礼をすること])の礼を致しました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-07-02 10:11 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」将軍御兄弟和睦事付天...      「太平記」三井寺合戦並当寺撞鐘... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧