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「太平記」将軍御兄弟和睦事付天狗勢汰事(その4)

これを聞いて将軍方しやうぐんがたの人は、「あはや高倉殿より寄せらるるは」とて肝を冷やし、高倉殿方の人は、「いかさま将軍より討つ手を向けらるるは」とて用心を致す。わざはひ利欲より起こつて、むことを得ざれば、つひに己が分国へ下つて、本意ほいを達せんとや思ひけん、仁木左京大夫頼章よりあきらは病ひと称して有馬の湯へ下る。舎弟の右馬のごんの助義長よしながは伊勢へ下る。細川刑部ぎやうぶの大輔頼春よりはるは讃岐へ下る。佐々木の佐渡の判官入道はうぐわんにふだう道誉だうよは近江へ下る。赤松筑前のかみ貞範さだのり・甥の弥次郎やじらう師範もろのり・舎弟信濃五郎範直のりなほは、播磨へ逃げ下る。土岐刑部ぎやうぶ少輔せう頼康よりやすは、憚る気色もなく白昼に都を立つて、三百余騎ひたすら合戦の用意して、美濃の国へぞ下りける。赤松律師則祐そくいうは、初めより上洛しやうらくせで赤松に居たりけるが、吉野殿より、故兵部ひやうぶきやう親王しんわうの若宮を大将にまうし下しまゐらせて、西国の成敗を司つて、近国の勢を集めて、吉野・戸津河とつかは・和田・楠木としめし合はせ、已に都へ攻め上らばやなんど聞こへければ、また天下三つに分かれて、合戦む時非じと、世の人安き心もなかりけり。




これを聞いて将軍(足利尊氏)方の人は、「なんと高倉殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)が攻めて来たぞ」と肝を冷やし、高倉殿方の人は、「間違いなく将軍より討っ手を向けられるぞ」と用心しました。禍いは利欲より起こって、気が休まる隙もありませんでした、果ては己の分国へ下って、本意を達しようと思ったか、仁木左京大夫頼章(仁木頼章)は病いと称して有馬(現兵庫県神戸市北区)の湯に下りました。舎弟の右馬権助義長(仁木義長)は伊勢に下りました。細川刑部大輔頼春(細川頼春)は讃岐に下りました。佐々木佐渡判官入道道誉(佐々木道誉)は近江に下りました。赤松筑前守貞範(赤松貞範)・甥の弥次郎師範(赤松朝範とももり?)・舎弟信濃五郎範直(赤松直頼なほより。貞範の甥)は、播磨に逃げ下りました。土岐刑部少輔頼康(土岐頼康)は、憚る気色もなく白昼に都を立って、三百余騎余すところなく合戦の用意をして、美濃国に下りました。赤松律師則祐(赤松則祐のりすけ)は、元より上洛せずに赤松(現兵庫県赤穂郡上郡町)にいましたが、吉野殿(第九十七代後村上天皇)より、故兵部卿親王(護良もりよし親王)の若宮(興良おきよし親王)を大将に申し下し参らせて、西国の成敗を司り、近国の勢を集めて、吉野・十津川・和田・楠木(楠木正儀まさのり。楠木正成の三男)と牒し合わせ、すで都へ攻め上ろうとしていると聞こえたので、また天下は三つに分かれて、合戦が止む時はないと、世の人は心休むことはありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-07-02 14:52 | 太平記 | Comments(0)

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