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「太平記」三井寺合戦並当寺撞鐘事付俵藤太事(その5)

二番に顕家あきいへきやう二万余騎にて、入れ替へ乱れ合つて攻め戦ふ。その勢一軍ひといくさして馬の足を休むれば、三番に結城ゆふき上野入道・伊達だて信夫しのぶの者ども五千余騎入れ替はつておもても振らず攻め戦ふ。その勢三百余騎討たれて引き退きければ、敵勝つに乗つて、六万余騎を二手に分けて、浜面はまおもてへぞ打つて出でたりける。新田左衛門さゑもんかみこれを見て、三万余騎を一手に合はせて、利兵りへい固きを破つて進まれたり。細川大勢といへども、北は大津の在家まで焼くる最中なればとほり得ず。東は湖海こかいなれば、水深うしてまはらんとするに便りなし。わづかに半町にも足らぬ細道をただ一じゆんに進まんとすれば、和爾わに堅田かたたの者どもが渚に舟を漕ぎ並べて射ける横矢に防がれて、駆け引き自在にもなかりけり。官軍くわんぐんこれに力を得て、透間もなく懸かりける間、細川が六万余騎の勢五百余騎討たれて、三井寺みゐでらへぞ引つかへしける。額田ぬかだ・堀口・江田・大館おほたち七百余騎にて、逃ぐる敵に追つすがふて、城の中へ入らんとしけるところを、三井寺衆徒五百余人木戸の口に下り塞がつて、命を捨て戦ひける間、寄せ手の勢百余人堀のきはにて討たれければ、後陣ごぢんを待つて進み得ず。その間に城中より木戸を下ろして堀の橋を引きけり。




二番に顕家卿(北畠顕家)が二万余騎で、入れ替わり乱れ合って攻め戦いました。その勢が一軍して馬の足を休めれば、三番に結城上野入道(結城朝光ともみつ)・伊達・信夫の者ども五千余騎が入れ替わって面も振らず攻め戦いました。その勢三百余騎が討たれて引き退けば、敵は勝つに乗って、六万余騎を二手に分けて、浜面に打って出ました。新田左衛門督(新田義貞)はこれを見て、三万余騎を一手に合わせて、利兵([鋭い武器。鋭利な刃物])の敵を破って進みました。細川(細川定禅ぢやうぜん)は大勢でしたが、北は大津の在家まで燃えていましたので通ることはできませんでした。東は湖海(琵琶湖)でしたので、水深く廻るにも手立てはありませんでした。わずかに半町にも足らぬ細道をただ順に進もうとすれば、和爾・堅田の者どもが渚に舟を漕ぎ並べて射る横矢に防がれて、駆け引きはままなりませんでした。官軍はこれに力を得て、透間もなく懸かったので、細川(定禅)の六万余騎の勢は五百余騎討たれて、三井寺(現滋賀県大津市にある園城寺)に引き返しました。額田・堀口・江田・大館(大舘氏明うぢあき)は七百余騎で、逃げる敵を追い駆けて、城の中へ入ろうとするところを、三井寺の衆徒([僧])五百余人が木戸口に下り塞がって、命を捨てて戦ったので、寄せ手の勢百余人が堀の際で討たれたので、後陣を待って進めませんでした。その間に城中より木戸を下ろして堀の橋を引きました。


続く


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by santalab | 2016-07-05 07:15 | 太平記 | Comments(0)

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