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「太平記」三井寺合戦並当寺撞鐘事付俵藤太事(その6)

義助よしすけこれを見て、「言ふ甲斐なき者どもの作法かな。わづかの木戸一つに支へられてこれほどの小城こしろを攻め落とさずと言ふ事やある。栗生くりふ篠塚しのづかはなきか。あの木戸取つて引き破れ。はた亘理わたりはなきか。切つて入れ」とぞ下知されける。栗生・篠塚これを聞いて馬より飛んで下り、木戸を引き破らんと走り寄つて見れば、屏の前に深さ二丈余りの堀を掘りて、両方の岸屏風びやうぶを立てたるが如くなるに、橋の板をば皆跳ねはづして、橋桁はしげたばかりぞ立ちたりける。二人ににんの者どもいかにして渡るべしと左右をきつと見るところに、傍なる塚のうへに、おもて三丈ばかりあつて、長さ五六丈もあるらんと思へたりける大率都婆おほそとば二本あり。ここにこそ究竟くきやうの橋板はありけれ。率都婆を立つるも、橋を渡すも、功徳は同じ事なるべし。いざやこれを取つて渡さんと言ふままに、二人の者ども走り寄つて、小脇に挟みてゑいやつと抜く。土の底五六尺掘り入れたる大木なれば、あたりの土一二尺がほどくわつとくづれて、率都婆は無念抜けにけり。




義助(脇屋義助。新田義貞の弟)はこれを見て、「話にもならぬ者どもよ。わずか木戸一つに防がれてこれほどの小城を攻め落とせないとはどういうことか。栗生(栗生顕友あきとも。新田四天王の一)・篠塚(篠塚重広しげひろ。新田四天王の一)はおらぬか。あの木戸を引き破れ。畑(畑時能ときよし。新田四天王の一)・亘理(渡里忠景ただかげ)はおるや。切って入れ」と命じました。栗生・篠塚はこれを聞いて馬より飛んで下り、木戸を引き破ろうと走り寄って見れば、屏の前に深さ二丈(約6m)余りの堀を掘って、両方の岸は屏風を立てたように切り立ち、橋の板をすべて取り外して、橋桁だけが残っていました。二人の者どもはいかにして渡ろうかと左右をきっと見るところに、傍の塚の上に、幅三丈ばかりあって、長さは五六丈もあろうかと思われる大率都婆が二本ありました。ここにこそ究竟([究極])の橋板があったぞ。率都婆を立てるも、橋を渡すも、功徳は同じこと。ならばこれを取って渡そうと言うままに、二人の者ども走り寄って、小脇に挟んでえいやとばかり引き抜きました。土の底五六尺掘って埋めた大木でしたので、あたりの土一二尺ほど一気に崩れて、率都婆は難なく抜けました。


続く


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by santalab | 2016-07-06 08:00 | 太平記 | Comments(0)

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